ラダックの旅(ツオー・モリリとヌブラ谷)

阪本公一

 2007年から毎年のようにインド・ヒマラヤのザンスカールへ未踏峰の探査に出かけてきたが、今年2013年はインド・ヒマラヤのラダックへのんびりとした山旅を楽しもうと、ツオー・モリリとヌブラ谷を訪れる計画を立てた。
 未踏峰探査の仲間の谷口朗さん、福本昌弘さん、八太幸行さん、宮川清明さんの他に、インド・ヒマラヤへ初見参の村上正康さん、上条雄吉さん、宮川ふみ江さん、小林悦子さん、谷川佳子さんの5名の参加があり、合計10名のパーテイとなった。

 ツオー・モリリは、ラダックの南部にあり、チャンタン高原の西端に位置する湖で、大きさは琵琶湖の約1/5弱、周囲は6,000mの山々に囲まれた風光明媚な標高約4,500mの高原地帯にある。
 ヌブラ谷は、ラダックの中心地レーの北にあり、東カラコルムの名峰サセルカンリの南西に位置する谷で、インダス河の支流であるシヤイオク川に合流する。古くは、カラコルム峠を越えてレーに入る中継街道であり、現在もチベット仏教の寺院が数多く残されている。

ツオ・モリリ周辺概念図<拡大>
ヌブラ谷概念図<拡大>

 今回は、ラダックのレーを起点に、ツオー・モリリとヌブラ谷を訪れる2週間の旅である。関空発着組5名、羽田発着組5名の2グループに別れ、6月26日~7月9日の予定で出かけた。6月26日にAir China で日本を出発し、北京で合流後同じフライトでデリーに6月27日の早朝に到着した。関空・デリー往復航空運賃が84,300.円(空港税・燃料費込み)と他の航空会社に較べて非常に安い航空運賃にひかれてAir Chinaを使う事にしたが、北京・デリー間のフライトが往路2時間半、復路3時間50分も遅れる始末。更に機内トイレが排水フラッシュの作動不能や電気がつかなくて使用不能だった機体も何度かあり、その上機内食がもの凄くまずくて、全隊員が大不満だった。

 デリーから国内便でラダックの中心の町レーに、27日7時過ぎに到着。Hidden Himalayaの社長のツワン氏の出迎えを受け、車3台でレーのHotel Lingziに投宿。Hotel Lingzi はこじんまりとしたホテルだが、清潔で気持ちが良い。
 レーの街は標高3,5000mの高地にあるので、午前中は、ホテルにて静かに休息し、午後にレーの町にある旧王宮、チョモ・ゴンパとシャンテイ・ストウパーを見学に行ったが、高度障害で気分が悪くなる者が2名でたので、阪本が付き添って先にホテルに戻った。

レーの町並み(モスクと旧王宮) レーの Market Street

 28日は、3台の車で、チベット・ゴンパ(寺院)巡り。ラダックで最大で且つ最も有名なヘミス・ゴンパにまず参拝。岩山に取り囲まれたヘミス・ゴンパの手前のヘミス村には、ピンクの野生のバラが咲きほこっていた。昨年6月末に同寺を訪れた時は、ヘミス・ゴンパのお祭りの日で、多くの地元の人々や観光客で賑わっていたが、今年は静かな雰囲気の中で、ヘミス・ゴンパを拝観する事が出来た。
 ヘミス・ゴンパの後、Iguの奥にあるIgu Kehspan Meditation Centerと呼ばれる標高約4300mの盆地にあるチベット密教カギュウ派の瞑想所を訪問した。2007年に訪れた時にお会いしたDorje Namgalさんと言う老ラマ(現在87歳)は今も健在で、6年前に撮した四つ切りの写真をお持ちしたら大変喜んで戴き、ビスケットとお茶で大歓迎をしてくださった。私達がホテルから持参したサンドイッチの昼食を、老ラマと一緒に楽しく味わった。日本からきた美女3人に囲まれて、老ラマは大変御機嫌であった。
 ホテルへの帰路、ゲルクパ派のゴンパで、ラダックを代表する勇壮なテイクセ・ゴンパに参拝した。同寺のチャンバ大仏像や、数多くあるタラ(女性の仏さん)像が圧巻である。

ヘミス村のバラ ヘミス・ゴンパ
Igu Kehspan Meditation Center Igu Keshpan Meditation Center のラマと一緒に
テイクセ・ゴンパ

 ラダックのホテルで買うミネラル・ウオーターは1リッター・ボトルが、40~45ルピー(約80~90円)もする。私達は、Hidden Himalayaの事務所の近くにあるフィルター・ウオーター(そのまま飲用可能)の販売所で購入する事にしている。1リッターがたったの7ルピ−(約14円)で買えるので、私達貧乏遠征隊は、何時も3リッター乃至は5リッターのポリ・タンクを何個か持参して飲料水を購入している。
 ラダックは、今年は欧州人の観光客が少なくて、インド人が急増したように見受けられた。ツワン氏によれば、インド経済が好調でインド人の一般所得が上がってきていることがインド人観光客の増加につながっていると観察していた。且つ、欧州の経済状況が悪いことと、デリー/レー間の航空運賃が暴騰した事が欧州からの観光客の激減の原因になっている模様とのこと。ちなみに、私達は、2012年12月にHidden Himalayaを通じて、デリー/レー間の往復航空券をUS$330.-で購入したが、6月末現在では片道がUS$300.-以上の高値で売られている由。欧州各地からデリーへの往復航空運賃に較べて、僅か1時間のフライトであるデリー/レー間の往復航空運賃がべらぼうに高いので、欧州人はラダックへの観光に二の足を踏んでいるのかも知れない。 

 いよいよ、ツオー・モリリに出かける日だ。6月29日朝7時30分にレーのホテルを出発。インダス河の上流の南の方ヘと、3台の車で向かう。昨日通ったIguの少し先に、Upshiと言う割と大きな町がある。インダス河を離れてマナリへ向かう国道との分岐点の町である。このあたりは、ガンジス河沿いの道路の拡張工事に、労働者が数多く働いていた。中国がパンゴン湖の中国側に立派な舗装道路を数年前に建設したので、それに対抗する為に、IBRO (Indian Border Road Organization)がインダス河の奥に通じる道路の突貫工事をやっているのだそうだ。中印国境紛争の影響は、大変大きい。
 Upshiを過ぎるとインダス河は、Kiariまで両岸に大障壁が続く大峡谷となる。12時にChamlangと言う大きな街に着き、道路脇の食堂で昼食。この近辺には、Indian Tibet Border Police (ITBP)と言うインド・チベット国境警備警察隊の大きな駐屯地がある。ラダックは、中国及びパキスタンとの国境問題係争中の地域であり、北西のカルギルから、レー及びインダス河沿いの源流にかけて、インド軍や国境警察隊の駐屯所が非常に多い。駐屯兵の数は公表されていないが、ツワン氏の話では10万人をくだらないだろうとのこと。
 13時15分にツオー・モリリへ向かう分岐点のMaheに到着。まっすぐ南に向かうインダス河沿いの路は、外国人には立入禁止となっている。Maheにチェック・ポストがあり、ILP(Inner Line Permit)とパスポートを提示し、通行登録をして、右手の鉄橋を渡ってツオー・モリリに向かった。 

 インダス河を離れると、谷は幅の広い穏やかな谷となり、谷筋に白やピンクのタマリスクの花が満開に咲いていた。 Puga Sumdo から西へ行くと、すぐ温泉のあるPuga村があるが、私達は立ち寄らなかった。その奥にPolo Kongka 峠(4970)があり、峠の北面にPolokongka(6632)や沖允人さん達が初登頂されたThugje (6148)が連なる。ツオー・モリリへ向かう路はつづら折れの立派な舗装道路となり、4840mの峠に達する(14時15分着)。峠の名前は、Edition Olizane 地図にはNusgar Laと記載されているが、Leomann Maps ではNamshang Laとなっている。我々のガイドのツワン氏がKarzokの村人から、地元ではNamshang Laを使っている聞かされていたので、私達もNamshang Laという地名を使用することにした。高所順応のため峠に約30分滞在した後、峠を下り、広大な高原にあるちいさな湖に達する。この湖はEdition Olizane 地図ではKyagar Tso 又はThadsang Karu, Leomann MapsではTazang Tso 又はKaigar Tsoとなっている。私達はKyagar Tsoと呼ぶことにした。
 Kyagar Tsoには、放牧の人々のテントが点在する。Kyagar Tsoの西には、Chalung 又はKulaと呼ばれる6500m峰、P6270やP6170の三山がゆったりとした山蓉を見せている。Kulaは1997年に日本山岳会東海支部に初登頂された山だ。
 Kyagar Tsoの南には、ツオー・モリリの西側にあるMentok連峰が遠望された。Edition Olizane Mapでは、北にあるのがMentok2峰(6210), 南に位置するのがMentok1峰(6250))とあるが、Leoman Mapsでは逆に北の山がMentok1峰(6277)で南がMentok2峰(6172)となっている。帰国後、1974年よりラダックに通っておられる先達の沖允人さんにお教えいただいたところ、正しくは北にある山が, 山形大学が初登頂したMentok1峰(6250)で、Mentok 2峰(6210)は南の山だとのこと。
 ラダックやザンスカールに関する市販の地図がいろいろ発行されているが、地図により地名も異なり、山の位置、標高もまちまちで、本当に混乱させられる。基準となるインド国防省のSurvey of Indiaの地図が市販されて一般大衆も使用可能になれば良いのだが、そんな時期は何時になったらやってくるのだろうか?

 高原にあるKyagar Tsoから西の方へ一段下りるとkyagar 川の広い河原があらわれ、ヤクやパシミア・ゴートを放牧している遊牧民のテント村が出来ている。パシミアはカシミアよりも繊維が細く高級だと言われており、パシミア・ゴートはツオー・モリリから西のツオー・カル(塩の湖)に至たる4,000m~5000mの高原で放牧されており、パシミアのショールやセーターはラダックの一大産品となっている。
 Kyagar川が西に直角に曲がる北面のKyagar 川左岸にはP6350, P6080, P6110のたおやかな山があり、右岸にはYalung Nong (6080)とP6040がある。Kyagrar 川は、南に流れツオー・モリリに流れ込む。ツオー・モリリには、渡り鳥が数多く生息しており、鳥たちの保護のために人間が入れないようにツオー・モリリ沿いに金網のフェンスが張られている。
 ツオー・モリリの西面にはインドHimalayan ClubのHarish Kapadiaさんが1995年に初登頂されたChamser Kangri (6600)とLunger Kangri (6650)がどっしりと腰をすえている。ツオー・モリリ山塊の最高峰だが、割と簡単に登れる山なので、最近はエージェントやガイドが企画する公募登山隊に毎年のように登られている。

インダス河支流に咲くタマリスクの花 Kyagar Tso より東側の山々を望む(八太撮影)<拡大>
Kyagar Tso から遠望するツオー・モリリ西側の山々(八太撮影)<拡大> 左Chamser Kangri (6600m), 右 Lungser Kangri (6650m)

 Mentok 連峰の麓にあるKarzokは、ツオー・モリリの西岸の標高約4500mにあり、常設民家もあるこの近辺で最大の村。私達はKarzokのテント・ホテルに泊まったが、ツイン・ベッドが備え付けてある2人用の大きなテントで、各テントに水洗のトイレやシャワーも完備されていて大変快適であった。
 隊員の一人が、その夜嘔吐を繰り返し、ほとんど睡眠がとれなく疲労困憊。翌朝の起床時の脈拍が120, 体温36.8, SP02が55%を計測された。完全な高度障害と思われ、放置しておくと高所肺水腫を躍起する恐れもあるので、ツオー・モリリでの2泊の宿泊を取りやめ、急遽その日の中にレーまで戻ることに決断した。その他の隊員が朝食を済ませた後、午前8時にKarzokを直ちに車でレーに向けて出発。Upshiまで一気に走り、午後2時にUpshi で昼食をとった。Karzokでは、すっかり弱っていた隊員も、おいしそうに昼食を口にし、他の隊員も一安心。高度約4,500mのKarzokから、標高約3,300mのUpshiまで降りてくると高度障害は不思議なように消えてなくなった。高山病になったら直ちに500m以上の高度を下げろという鉄則を、あらためて再認識する実体験を持つことができた。午後4時半頃に、レーのHotel Lingziに帰着。夕食は、ホテルの外のレストランで中華料理を食べたが、今朝は高山病で全く元気のなかった隊員も、人並み以上に夕食を楽しんでいた。

ツオーモリリ Karzok のテント・ホテルとMentok 1峰・2峰 (右より) Kyagar Tso より Kyagar谷沿いの山々を眺める<拡大>
Kyagar 谷のヤクの親子 Kyagar 谷のパシミア・ゴートの放牧<拡大>

  翌7月1日は、休養日とし、自由行動とした。ガイドのツワン氏に同行願い、念のためツオー・モリリで高山病にかかった隊員をつれて、朝10時にレーのSNM Hospitalへ出かけた。診察を待つ長い列が出来ていたが、ツワン氏の交渉のお陰で、10分ぐらいの待ち時間で内科の女医さんに診察していただいた。状況を説明し、今朝のSP02は82%なることを説明した。明日から標高5,600mの Khardung Laを越えて、ヌブラ谷に行く予定だが、問題はないかと質問したところ、峠に長時間滞在しないなら、ヌブラ谷は標高が3,000~3,100mだから、明朝のSP02が大幅に低くなければ、ヌブラ谷へ行くことは全く問題ないとの回答をいただいた。
 本人もツワン氏も私も、女医さんの言葉を聞き、ホッとする。診察料をツワン氏が立て替えてくれたので、幾らだったか聞いたところ、2ルピー(約4円)とのこと。驚くべき安さだ。ツワン氏によると、インド政府はラダックの住民に対して、特別な医療優遇政策をとっていて、ラダックの病院で治療を受ける外国人もラダック住民並の安い診療代で良いことになっている由。
 明日から予定通りにヌブラ谷に行けることになり、本人も他の隊員も全員大喜び。ツワン氏も、ヌブラ谷での宿泊予約を取り消さなくてすみ、一安心。他の隊員は、買い物を兼ねて、レーの街の探索に1日を楽しんだようだ。 

 7月2日、朝7時半にレーを3台の車で出発。世界一高い車の通る5,600mの峠と言われているKhardung La の手前のSouth Puluのチェック・ポストにて、ILPとパスポートを提出し通行登録を行う。つづらおりジグザックの山道から、レーの街の西に連なるStock Kangri連山を眺め, 写真を撮った。Stock Kangri(6150)は、トレッキング・ピークになっていて、レーのIMF(Indian Mountaineering Foundation)事務所へ申請すれば2,250ルピ−(約4,500円)で翌日には許可がとれるので、大変人気がある。条件の良いときは、ピッケル・アイゼンなしでも登れる山なので大勢の登山者で毎年賑わっているが、BCはゴミの山になりつつあるとHimalayan Clubでも対応に頭を痛めているそうだ。
 Khardung La で高度を計測したら、私達の持参している高度計では約5,200mしかなかった。過大宣伝だと憤慨する隊員もいた。 ツオー・モリリで高山病になった隊員がいるので、Kharudung Laでは車を止めて休息せずに、一気に峠を下った。
 途中Khardung村のレストランで昼食をとり、Deskitを通り越してHundarのテント・ホテルに14時に到着。Hundarのテント・ホテルも、カーペットが敷いてある二人用のツイン・ベッドの個室で、水洗トイレとバス付きの清潔で快適なホテルだった。緑の林の中のテント・ホテルは、落ち着いた雰囲気でくつろげた。
 ヌブラ谷とシャイオク川の出合い近辺は、幅2km以上もありそうなデルタとなっている。DeskitやHundarは、パキスタンとの国境に近いので、軍隊の駐屯所を何カ所にも見受けられた。 

Leh の町とStock Kangri 山群<拡大> Shayok 川沿いの Hundar 村

 7月3日は、Hundar 村にある岩山の上のDeschen Tsemo Gompaへ参拝。Gompa から見下ろす木々の緑につつまれたHundarの村が美しい。その後、Hundarの砂漠へキャメル・サファリを楽しみに行った。乗車券は15分で、一人180ルピー(360円)であった。 シャイオク川沿いにあるHundarは、両岸の岩壁がもろく、崩壊して砂状になって風で吹き飛び、シャイオク川に堆積して鳥取の砂丘のようになっている箇所がある。此所に、ラクダを利用して、観光客を乗せて遊ばすキャメル・サファリがヌブラ谷の名物になっている。
 午後は、Deskit Gompaを訪問。Gompaは山の中腹にあるが、車で行ける。Gompaの裏側にはP6040の魅力的な山が聳えている。大仏の場所から眺めるDeskit Gompaと後ろのP6040の景観は、なかなかの圧巻であった。その日も、同じテント・ホテルのSand Dune Leisure Campに宿泊した。夜、周りをうろつく野犬の群れが吠え続け、一晩中やかましくて眠れなかった。 

Hundar のDeschen Tsemo Gompa
Hundar の砂漠でキャメル・サファリ (上条撮影) Deskit Gompa と背後の P6040
Deskit Gompa Deskit Gompa の大仏

 7月4日は、Sumurへ移動。いったんシャイオク川を南に行ってから、橋を渡って対岸の左岸の道にでる。Deskit村の近くから、対岸のTirit谷の奥に聳える真っ白な鋭峰が望まれた。多分、Abule (6360)であろう。Sumur村にある、Samtaling Monastryと言う最近建てられたGompaに参拝。Gompaの前庭から、Deskit Gompa の南に聳えるP6040やTeltop (6120)の連山が手に取るように眺められ、写真を撮影した。
 今日の宿泊先は、Sumurの新しいテント・ホテルであるValley Flowers。花壇のある明るいテント・ホテルで、バス・ルームはタイル張りであった。
 午後、Panamikの温泉を見物。露天の温泉に観光客が捨てるゴミに困った地元住民が、男女別の浴槽のある建物を最近建設して運営している。外人に与えられるILPは、Panamikまででそれ以上北には行けないことになっているが、Panamikiを少し越えた箇所から対岸に渡った山の上にあるEnsa Gompaには参拝が可能。車で対岸に渡り、中腹の車止めから、急坂で砂混じりの狭い滑り落ちそうな山道を登ってEnsa Gompaに参拝した。地元の人たちが、宿坊の建設に男女総出で忙しく働いていた。ラダックに住むチベット仏教の人々の、「相互依存」の生活を目の当たりに見せて貰った。 

Shayok 川とヌブラ谷の合流点 ヌブラ谷の Sumur村より眺めるDekit の南の山々<拡大>
ヌブラ谷 Sumur のテント・ホテル Shayok 川支流Tirid 谷奥のMt. Abale (6310m)

  7月5日にはヌブラ谷を離れ、レーに戻った。Khardung Laから、Saser Kangri 連峰を眺めるため標高差約50mの小山の上に登った。最初は雲で見えなかったが、10分ほど休憩している間に、Saser Kangri 2峰の秀峰が望まれた。Saser Kangri 2西峰(7500)は、1985年に日印合同隊(日本隊隊長沖允人氏)が初登頂している。 Saser Kangri 2 東峰(7518)は、2011年に米印合同隊が初登頂。
 午後1時半にレーに戻り、午後はそれぞれの土産物の買い出しや洗濯などでのんびり過ごした。 

Khardunga La より遠望する Saser Kangri 2峰 (八太撮影)<拡大> インダス河(左)とザンスカール河との合流点

 7月6日は、車でゲルク派の総本山であるリキール・ゴンパを参拝。このゴンパの現在の座主はダライラマ14世の実弟のンガリ・リンポチェ。寺院の手入れは完璧であり、大変清潔で、若い僧侶を教育する学校もある。本堂の横にチャンバ大仏がそびえている。
 その後、世界的に壁画で有名なアルチ・ゴンパを訪問した。カシミール調の壁画で有名で、数多くの写真集などで紹介されている。七年前は、フラッシュを使用しなければ撮影が可能だったが、現在は堂内での撮影はすべて厳禁になっている。 

Likir Gompa

 7月7日の早朝にレーからデリーに飛び、午後はインド門と国立博物館を見学。翌8日も市内観光とIMF(Indian Mountaineering Foundation)の訪問に時間を使い、7月9日早朝のデリー発のフライトで北京経由で日本に帰国した。
 僅か2週間のバタバタした旅程だったが、それなりに充実した楽しい旅であった。 

「追記」
 
今回もHidden Himalayaの社長ツワン氏と奥様の紗智さんには、大変お世話になった。ツワン氏は、2007年からのお付き合いで、デリー大学の大学院卒の経歴を持つ、ザンスカール出身の誠実で信頼出来るガイドである。紗智さんは滋賀県比良山の麓出身の女性で、ツワン氏の人柄に惚れて結婚。元西遊旅行社員の経験を生かして、夫婦二人で旅行代理店をレーで経営している。長男創一君(3歳)、次男秋生君(1歳)との4人家族。
 ラダックに行かれる方で、現地で起用するエージェントが特になければ、是非Hidden Himalaya を活用されるよう強くお奨めしたい。
Hidden Himalaya 
21 Hemis Complex, Zangsti, Upper Tukucha Road
Leh, Ladakh, 194101,  Jammu & Kashmir, India
Tel: 91-1982-257994
E-mail : Zurhang@redffmail.com (Mr. Tsewang Yangphel)
E-mail : sachitsewang@gmail.com (Mrs. Jyoko Sachi ) 日本語受信可能
* Hidden Himalaya ホームページ:http://www.hiddenhimalaya.com (英語)http://zanskar.jimdo.com/   (日本語)
* 紗智さんのブログ「ラダック生活記」:http://zanskar555.blog117.fc2.com/  (日本語)