崑崙山脈偵察報告
伊藤 寿男(1959年入部) 記
1 期間: 2004年9月15日〜10月7日
2 メンバー: 前田 栄三(リーダー 1964年入部)
泉谷 洋光(1964年入部)
西田 八洲男(1964年入部)
伊藤 寿男(1959年入部)
3 行動記録:
9/15 成田――北京――ウルムチ
/16 ウルムチ
/17 ウルムチ――カシュガル
/18 カシュガル――イエチェン
/19 イエチェン――アカズ峠(3300米)――クデイ
/20 クデイ――-セラク峠(4900米)――マザ――ヘイカ峠(4950米)―― 三十里営房――大紅柳灘
/21 大紅柳灘――奇台達坂(5100米)――アクサイチン湖往復――大紅柳灘
往き復り時に、目を皿のようにして新蔵公路沿いに意中の山を物色
/22 大紅柳灘手前の谷より6000米峰偵察(車が奥まで入れず途中でgive up)
再び奇台峠を越えBC(5240米)へ
前田体調不調
/23 前田回復せず、山中のリーダーシップは伊藤がとることとする。
前田を軍の診療所のある大紅柳灘まで西田をつけて白車で下ろす。
伊藤、泉谷、バートル(通訳)で、6000米峰群谷に入る。
周りの山群で最も高い6345米峰を、高度、アプローチ、難易度、山容等を勘案、我々の目指す山と決定。
5465米にAC設営。
/24 伊藤、泉谷で5825米まで登ってルート偵察。
前田が心配なため、打ち合わせどおりACを撤収しBCへ。
西田からの緊急伝言無く一安心。
/25 伊藤、泉谷、バートルで6000米峰群谷奥にある6000米峰3峰を偵察。
いずれも登れそうであること確認。
BCに帰幕すると西田の伝言を持った白車が上がって来ていた。
『前田の容態はimproveしていない。出来るだけ早くイエチェンに下ろしたほうがいい』と。
BC撤収――大紅柳灘へ
/26 大紅柳灘――クデイ
前田は昨日から回復した由であるが無理は禁物。所期の目的も達したので大事を取って早めに下りる事にする。
/27 クデイ――イエチェン――ホータン
/28 ホータン
/29 ホータン――ニヤ
/30 ニヤ――タクラマカン砂漠横断――クチャ
10/1 クチャ――コルラ
/2 コルラ――トルファン
/3 トルファン
/4 トルファン――ウルムチ
/5 ウルムチ――北京
/6 北京
/7 北京―-日本
4 対象の山について:
我々の年齢と実力にふさわしい、6000米をちょっと越す、風格のある「白き、たおやかな未踏峰」を見つけに崑崙山中に分け入った。
結果は、「白きたおやかな」にはやや難あるが、それに近い風格のある山を見つけてきた。 概略は次のとおり。
1.アクサイチン湖の北方に位置する高さ6345米の未踏峰。周りにある6000米級の山々より高い。
2.雪線は、9月末で5800米。ここまでは緩やかな傾斜で、今回もここまで登った。
3.5800米より隆起しており、北西面から見ると、9月末現在、左側2/3が雪の斜面、右側1/3が岩屑と雪のミックスした丸い稜線。上部で左側の雪の斜面と合流している。合流点よりは山全体が雪面となり頂上に到る。
4.頂上はなだらかで南北に長く、下からは何処が最高点か判断不能。
5.見た限りでは、右側の岩屑と雪のミックスした丸い稜線ルートか、左の雪面ルート。雪の状態如何で難易度が異なる。今回のようにカチカチであれば、要所にフィックスザイルが必要な、相当手強い山になる。
6.雪の状態のいい7月中旬〜8月中旬が好機となろう。
7.約5,200米のBC予定地からは、ロバ、らくだ、地元のマンパワーなどは望むべくもなし。荷揚げ、ルート工作などすべて自分たちの手で行わねばならない。
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以上