平成18年6月17日
山で体をこわさぬために
―中高年登山者・ハイカーのための医学知識―
(神戸・シルバーインフォーメーションルーム主催講演会資料)
日本登山医学会理事
国際登山医学会前副会長
中島道郎
§1 はじめに
登山者・ハイカーに必要なのは、怪我や病気の手当の知識よりはむしろ、山で病気や怪我をしないための方策である。今回は、日本の無雪期における、中高年者の日帰りハイキングないし山小屋2~3泊程度の山旅を想定して、その方策を考えて見よう。
§2 山に入る前の心がけ(たかがハイキングと侮るなかれ。)
[1] 体調点検
健康者と自負する人も、少なくとも年に1回以上は検診をうける。
生理学検査:胸部レ線写真・心電図・肺機能・安静時血圧・酸素飽和度
生化学検査:血液一般・血糖値・肝機能・腎機能 等
a) 入山前の健康診断
もし、数日以上にわたる山旅を計画する場合には、その前に、改めて上記健康診断をうけ、診断医の意見を聞いておく方がよい。
b) 出発を取り止めるべき症状
1. 熱のある場合
2. 体のどこかが痛む、なんとなく体がだるい、など、気が進まない場合
3. 階段・坂道で息が切れる場合
4. 下痢
c) 持病がある人の場合
一般論として、持病があっても正しく管理されている限りは、登山して差し支えないが、各論的には、主治医と、普段から何でも相談出来る“患者―医師関係”を構築しておくことが大事。
[2] 普段のトレーニング
楽しい山行きの秘訣:普段から常に歩く習慣を保持する。階段は、いつでも必ず歩いて昇る。
§3 登山準備
[1] 身支度と携行品の確認
普段使い慣れたものを。道具には習熟。点検・保守の励行。
a) 身の回り品
1. 服装
肌着-中間着-上着-オーバー着“重ね着”方式(Layered System)の工夫。要経験。
i) 肌着
夏は、日帰り登山なら木綿・平織りでよいが、2,000m以上の山に泊りがけで登る場合は木綿は避け、ポリエステルのパイル・ニット・網シャツを奨める。春・秋の涼しい季節には木綿は絶対ダメ。ポリエステル系のニット織で長袖がお奨め。
ii) 中間着(いわゆる登山シャツ。夏はこのまま上着としてよい。)
保温性・防風性・軽量性・易行動性に留意し、夏は木綿製でもいいが、春・秋はウールがベストで、ポリエステル系でも構わない。寒さに備えてフリースウエアを予備に。
iii) 上着(いわゆるジャンパー・パーカーの類。)
留意点は保温性と防風性。撥水性を加えたらベター。軽くて行動し易いこと。素材としてはフリースウエア・ウール・薄い羽毛など。釦止めよりジッパーを。
iv) オーバー着(いわゆるヤッケの類。)
防風性・防水性・軽量性・価格から、ナイロン系素材プルオーバー型で十分。通気性の点でゴアテックス系素材に人気があるが、価格を考えると軽登山にはいかがなものか。
v) 靴下・手袋
靴下素材には保温性と衝撃緩和性が求められるので、毛糸編みがベストで、ポリエステル系のパイル織りでもよい。手袋には、夏は木綿のいわゆる“軍手”がベストだが、春・秋で低温の場合は木綿は厳禁。ウールがベストだが、氷点以上ならポリエステルでも可。
2. リュックザック
ビラビラした“アイデア”外装は不要。単純が良い。軽くてやや大き目のメーカー品を選ぶ。
3. 魔法瓶・水筒類
夏は1000mlペットボトルで十分。春・秋はステンレス魔法瓶がよい。
4. 靴とスベラーヌ
底の厚いいわゆるトレッキング靴がお奨め。それプラス、降りはスベラーヌ着用を忘れない。
5. 軍手
木綿の作業用手袋は、手の保護のため夏山には必須である。
6. 二本杖
長さを調節(登りは短く、降りは長く)出来る、ループ握り手付きスキーストックタイプの杖。必ず2本ペアで持つ。1本杖は無意味。
7. 帽子
木綿製の通気性のある鍔つき帽子(ハット)
b) 登山必携十品(どんな小さな山行でも、これだけはいつも透明プラスチック袋に入れて携行する癖をつけておく。)
1. 地図
2. 磁石
3. 懐中電灯
4. 多機能ナイフ(スイス・アーミーナイフ)
5. 救急医療キット {参照:[付録](表1)}
6. 予備食 {参照:[付録](註1)}
7. 予備衣料 {参照:[付録](註2)}
8. マッチ
9. 火付け(紙・携帯燃料)
10. 特大ポリエチレン袋(80cm×90cm) 2枚と小ポリエチレン袋(50cm×60cm)2枚
[3] 登山準備“べからず”十戒
1. 普段からエレベーターやエスカレーターに乗るべからず。
2. 自分の技量を考え、無謀な登山を計画すべからず。
3. 熱があるときは登山すべからず。
4. 雨と寒さの備えを怠るべからず。
5. 肌着・靴下に木綿を愛用すべからず。(木綿は夏季低山登山に限る。)
6. “登山必携十品”の用意と点検を忘るべからず。
7. その山の登山路や気象条件等に関する情報収集を怠るべからず。
8. 荷物は重くすべからず。
9. 新品登山靴でいきなり登山しようとすべからず。
10. 家人に登山計画の概略説明をせずに出かけるべからず。
§4 山に入ってから
[1] 健全登山十則
1. ウオーミングアップが必要。登り始めはゆっくり慎重に開始。
2. 食料は原則“糖質(炭水化物)”に重点を置く。
3. 水分補給は出来るだけ頻回かつ大量(真夏なら2リットル)に。アルコールは行動中禁止。
4. 小児・高齢者・持病保持者でも、正しい管理下にあれば登山は可能。但し主治医と相談。
5. 休憩は、30分ないし1時間毎に5分間。その度に必ず水分とカロリーを補給。
6. 過労と見たら直ちに下山を考慮。必ず誰かが付き添うこと。
7. 縦走などでは、宿泊地はその日の最高到達高度より低い所を選ぶ。
8. 降り道は絶対走ってはならない。
9. 高年者は特に、軍手・スベラーヌ・二本杖を忘れてはならない。
10. 道に迷って行き暮れたら無闇に動かず、そこで救援を待つ。
[2] 栄養補給
ポケットに、チョコレート・飴・ビスケット・煎餅・カロリーメイトなどを常時用意し、小休止のたびに、水分と共に摂取する。
[3] 暑さ・寒さから身を守る
a) 熱中症・脱水
病因:脱水により発汗が減少し、体温が40℃以上になるため脳神経が傷害される。
予防:十分なる水分補給(3-4l/d)帽子・シャツ着用。
手当:経静脈的補液(点滴)。全身を水で冷やす。
b) 普通感冒
外気温が低いことに気付かず、薄着のまま、あるいは厚着して汗かいたままでいる場合に罹る病態。故に衣服の着脱を面倒臭さがらずにマメに行なうことが肝要。
c) 低体温症(凍死)(夏山でも起こりうる!高度100m上昇で気温0.6℃低下)
病因:体熱の、喪失に産生が追いつかない状態。(喪失がひどいか、産生が低い場合)。
予防:肌着はウールがベスト。木綿は絶対不可。肌着を汗や雨で濡らさない。Layered Systemの工夫。懐炉の援用。
手当:意識のはっきりしている場合なら、暖かい糖液をたっぷり飲ませる。意識のない患者を
現場で手当てする事は不可。山小屋もしくは病院に搬送することを考える。
[4] 山で怪我をしないために
a) 転倒防止(スベラーヌ・二本杖)
事故は降り道に集中。転ばぬ先の二本杖。スベラーヌを着用し、絶対走らない。
b) 軍手
手掌を擦りむく事故は案外多い。
c) 落雷 (滅多にあることではないが)
草原・尾根筋が危険。早めに危険を察知し、身を低くして、テントやグランドシーツを被って雷雲が通り過ぎるのを待つ。岩陰は良いが、岩壁から身を離すこと。
§5 おわりに
山では、ちょっとした注意と工夫の有る無しが生死を分けるということを銘記されたい。
[附] 山を降りてから
下で乗り物の来るのを待つ間に、肌着を予備肌着と着替えることをお奨めする(靴下も)。
山を降りてしまったら、アルコールは構わない。
[付録]
(表1)一般登山者個人用基本的携帯医療品一覧表
症状: 薬剤名(参考): 用量・用法(総量は日数勘案) (内服薬) 1回 1日 疼痛・発熱 ロキソニン60mg 1 錠 2 回 腹痛 ブスコパン10mg 1ー2 錠 3ー5 回 下痢(註1) ロペミン 1mg 1 カプ 1ー2 回 胃薬 胃散 1 包 3 回 風邪 PL顆粒 1 包 3ー4 回 咳 燐酸コデイン20mg 1 錠 3 回 のど痛 SPトローチ 1ー2 錠 3 回 (外用薬) 点眼薬 AZ点眼薬 0.02% 5ml 1 |