崑崙山脈西部の山旅

1)概要

故岩瀬時郎さんを中心としたAACKメンバーは長年に亘り、崑崙山脈西部地区の未踏峰への遠征準備を行ってきた。

その結果、2004年の前田栄三らによる偵察行を行い、2005年の伊藤寿男らによる6345m峰(後日「ユメムスターグ」と命名)初登頂へと繋がった。さらに2005年のメンバーであった前田栄三、泉谷洋光が同山群の6232m双耳峰への登山計画を立上げ、2007年、安仁屋政武を隊長とし、前田栄三、泉谷洋光、川久保忠通、芝田正樹の5名による実行となった。5名は冬季の甲斐駒、木曽駒、八ヶ岳、富士山などで合宿を重ね、体力・技術水準の確認と向上を図った。

隊は2007722日に日本を発ち、高度順応活動を経て730日-89日の間、崑崙山脈西部の山域に入り登山活動と学術調査を行った。期間中、川久保により血中酸素濃度SPOを測定、各人の高度順応度の指標にした。データは今後の高度順応の物差しとして貴重なものと期待できる。

西部崑崙 6232m峰・6468m峰 概略図

登山活動の概況は以下の通り。

26232m峰N35°40’ 23” E79°38’ 55”

ソ連製20万分の1地図 I-44-II参照。2005年伊藤等によって初登頂されたユメムスターグ峰(6345m)とは谷を挟み南西に位置する双耳峰。

   730日 安仁屋・芝田はキダイ峠(=奇台大坂。峠の立て札には5250mと手書きされていたがGPSでは5192m)より稜線をさらに250m登高、6232m峰を遠望、積雪量は僅かであること確認。前田・泉谷は車で2005年のABC地点(5440m)に到達、本年もこの地をABCと決定しテントをデポ。川久保は下痢症状のため休養。BCの大紅柳灘(4155m)の宿坊「天府食舫」に戻る。

731日 休養日。芝田は単独で未踏峰の偵察

81日 07:10 大紅柳灘出発(4155m)

08:40 キダイ峠(奇台大坂)(5192m)

10:00 ABC着(5440m) 

14;20 C15660m)設営

16:20 ABC着(5440m)

19:40 BC着(4155m)  

ABCC1は高度差220m程度だが、20kgを超える荷物を背負っての河原歩きはきつい。自由なペースC1を往復したが体力差により所要時間は大幅に違った。この日は高所順応の観点からBCに戻り、体調整備を図った。

82日 07:30 BC発(4155m)

 10:00 ABC着(5440m)

 14:00 C1着(5660m)

 17:00 ABC着(5440m)

ABCで使用するテント2張はカシュガルのエージェントで用意した物であったが、  夕刻の突風と砂塵にチャックが壊れ、食事用のパオに逃げ込む事態となった。  5000m超えでの宿泊となったがこれまでの高度順応の結果か、全員体調順調。

  83日 08:10 ABC発(5440m

       10:45 C1着(5660m

       11:35 安仁屋・芝田・川久保はユメムスターグ峰(6345m)へ出発。途中、川久保は高所順応歩行に留め6000mで下山。

   15:30 安仁屋・芝田6345m峰登頂(2005年伊藤等4名に続く第2登)

  17:30 C1着(5660m)

前日に6345m峰の登高ルートを見定め、日帰りアタックの勝算ありと判断していた。しかし、今回の登山の第1目的が「全員での6232m峰登頂」であることから、「無理をしない範囲で行ける所まで」を前提に出発。頂上直下の3mの雪壁を乗越すところ以外は危険性を感じなかった。

前田・泉谷は6232m峰の登路確認。安仁屋の食欲は落ちなかった由だが、芝田はスープ類しか受け付けず。

84日 08:10 C1発(5660m

13:40 6232m峰登頂(6186m)

15:15 C1着(5660m

この山域のルンゼは大岩ゴロゴロの急斜面。2時間の登りで雪面に到達(5837m)、前半は雪の腐った急斜面(下山時は尻セード)、後半はアイゼンの利く雪面。残念ながら曇天で視界は冴えず。

双耳峰の縦走も計画にあったが、東面は雪のない大岩のガレ場で歩行できず。登路を辿っての下山。15時頃より小雪が舞い始めた。

85日 09:00 C1発(5660m

11:00 ABC着(5440m

13:10 6468m峰のルート確認のため、車で左俣へ

15:40 BC着(4155mC1を撤収し25kg近いザックを背負って下山。

(2)6468m峰N36°46’ 01”E79°36’ 52”

日本を出発する時点で「主目的の6232m峰登山が成功したうえで余裕があれば登山の対象とする」とのメンバー合意があった本沢左俣奥の6468m峰を確認。

本峰は2000年京都「北山の会」が遡行し初登頂した6540m峰と氷河を挟んで南東に聳える峰。

86日 休養(BC

6468m峰の登山計画を討論。メンバーは安仁屋・芝田・川久保の3名。ABCは設置せず、実働4日予備1日、テント1張で行動することとする。夕方から夜にかけて大紅柳灘で激しい雨となった。

87日 07:10 BC発(4155m

11:35 左俣(車の最終到達地点、5413m

15:00 段丘上(5623m)

14:35 C15686m)

昨日の降雪で5000m以上は白くなっており、雪崩の危険を想定したが午後には新雪は消えた。車のエンジントラブル(ガソリンに気化器のノズル詰り)で1時間ロスするも、5日の偵察時よりも一段奥まで車が到達。急なルンゼは予想以上に時間が掛った。段丘の先で沢が左右に分岐。右側の沢に入るべく小尾根を登りショートカット。出水の恐れのない河原に新C1を設定。

計画は @6100-6200mの稜線にC2を設置する AC1から一気に頂上をアタックする、という2案があったが、ルート上に極端に困難な箇所がなさそうなこと、ユメムスターグの経験(5440mのABCからC1を経由し6345mに登頂)から標高差800mは1日で登高可能と判断。翌日はアタック体制と決定した。

この辺りまで手押し車と思われる2輪車の轍が見られた。山域全体が玉(羊脂玉)などの原石を産出するので山師が入っていると考えられる。

88日 07:30 C1発(5686m

09:40 カール状雪田(5900m)

12:00 稜線(6213m)

13:10 頂上(6455m)

15:15 C1着(5686m

カール状雪田までのルンゼは予想通りの急傾斜で時間も掛った。雪田から上部は踝から脛位のラッセル。湿雪でアイゼンが団子になる嫌な雪であった。川久保のアイゼンは特に雪が付着し23歩毎にピッケルで叩き落す作業が加わり、相当消耗した由。途中からは安仁屋がトップを務めた、快調に急雪面を登高。

頂上部は雪庇が3mも北側に張り出していた。いくつかのコブがあり、最も高そうな2ヶ所を踏んだ。快晴、360度の展望を楽しみ40分滞在。

下山路は南東面を尻セードで滑り降りた後、東に伸びる尾根を使った。途中の尾根上に帽子状の長さ200300m、高度差50m位の氷河が掛っていた。氷河専門家の安仁屋も「前後左右に氷河がなく、尾根上だけに氷河があるのは?」と首を傾げる代物。

  89日  08:30 C1発(5686m

  09:15 分流点(5655m)発(荷物をデポ)氷河調査

  13:00 分流点戻り

  14:40 車と合流

  16:40 大紅柳灘着(4155m

  17:45 大紅柳灘発

  20:50 三十里営房着(3855m)

本沢は2000年の京都「北山の会」の6540m峰登山の際に使用したルート。沢岸や氷河の末端にテント生活の残痕があった。大きな池があり7羽の水鳥(白い腹部以外は真っ黒のカモ類)を発見。アクサイチン湖で見たカモメにも驚いたが、こんな高地にもカモが生息。氷河末端に直径20m程度の水溜りが45個あった。一番手前のものは完全氷結、2番目は半分氷結、3番目は氷なし。この1番目の氷表面にユスリカのボウフラの抜け殻が大量に浮いていた。

5300mの河原には所々に黄色の花を付けた植物が見られるが、ここには野生のレイヨウ類の足跡が多数あった。

計画は実働4日予備1日であったが、車は3日目から出迎えるよう指示していたのでBCの大紅柳灘にタイミング良く帰着。

 前田・泉谷も相前後して6851m峰の偵察から大紅柳灘に帰着。

大柳紅灘からイエチェンまで1日で移動するには長すぎること、自動車の故障や途中の道路事情などの不確定要素を織り込み、三十里営房までの移動を決定。

案の定、エンジン不調のため何度も停車・修理を繰り返し、道路を寸断する濁流を乗り越えてやっと三十里営房に到達。726日以来、約2週間に及ぶ禁酒令を解き飲酒するところとなった。

6468m峰山頂
6468m峰からの下山

(3)その他

SPO:測定装置を2個持参。川久保により登山活動中は朝夕、全員のSPOを記録。登山活動前は90%程度の数値を示したが、高度を増すごとに6070%に低下。川久保は他の4人より常に10%近い数値であった。川久保はフルマラソンにも参加する体力。数値が低いのは日頃の無酸素運動の習慣?

未踏峰:イエチェンからいよいよ新蔵公路へ。日産パトロールの窓から崑崙山脈の雪を抱いた峰々が見えて隠れ。巻き上げる砂塵をものともせず車窓から「より魅力的な山はないか?」と物色。約2週間の行程中に我々の技術・体力で登頂可能と思われる未踏峰を2座確認した(詳細は割愛)。

和田:今回の計画では登山活動期間として12日間を予定していたが、好天に恵まれ、対象の山が全てC1からのアタック形式で登頂できたことから予備日を含めて日程が大幅に短縮。急遽、和田への観光旅行を組んだ。契約していた四駆の追加費用がRMB1,800/日というオファーであったため、イエチェン⇔和田は乗り合いバスを利用した。座席が狭いことを除き、不便・不安はなかった。和田は落ち着いた町で登山活動の疲れを癒すに大いに効果があった。

現地調達テント:現地AGENTとの契約でABCのテント(大型2張、3-4人用2張)を用意させた。カシュガルでの事前確認をしたが、3-4人用は2張とも出入口のチャックが壊れた。過信は禁物。

費用AGENTとは現地ホテル(安宿も含め)代や食事代を含めていた。AGENTは損の無いよう経費を余分に見ることから、契約(委嘱)範囲をできるだけ少なくし、自分たちで都度精算する方式の方が安くなると思われる。会計係や庶務係は雑務が増え大変だが・・・。またチェックイン手荷物の20kg超過料金は空港によって多少の甘辛の差はあるが、容赦なしと心得なければならない。空港によって1kg当りの単価も違う。できる限りザックで背負って機内持込とすべし。

(完)