「ラダック・ザンスカールの情景」

 

 ラダックという地名と独特の帽子をかぶった人物写真に強い誘引を覚えたのはかなり以前のことだったように思う。おそらく、19世紀末のグレートゲームについての本を読んだ時のことであったろう。昨年の初秋に偶然の僥倖に恵まれ、この地へのトレッキングチームに参加の機会を得たおかげで、長年のおぼろげなイメージを現実の情景に替えることができた。パーティのメンバーは、阪本公一(リーダー、60年入部)、谷口朗(57年入部)、福本昌弘(同)、伊藤寿男59年入部)、八太幸行(坂本の高校山岳部同級)、松浦祥次郎(54年入部)。

 パーティはニューデリーを経て07年8月24日に初秋のラダックの主都レーに着いた。まず、高度順化とチベット文化に触れるためレーや周辺のゴンパ、旧王宮などを訪ね歩いた。ここは標高3,500mの高地である。

(左より谷口、阪本、福本、松浦、伊藤、八太)

 旧王宮はレーの背後の丘に聳え、町を見下ろしている。町は観光ブームで賑わい、どの道も小型車に溢れている。町のあちこちでホテルが新築中である。それでも、ちょっとわき道にそれると、かすかな小川の流れを使って女性が洗濯しているのを見る。乾燥地帯のレーでは水は貴重品である。

 市民の飲料水は時間給水の水道で供給されているようである。       

 一般の旅行者は、飲み水を街の中心にある給水所で購入するか、コンビニのペットボトルにするかである。予想外に多いのはインターネット・カフェである。それに、どう言う訳か寝そべっている野良犬がやたらに多い。害はなさそうだが、決して気持ちの良いものではない。

 ラダックでは、緑があるのは河の近くで灌漑のあるところだけである。レーはチベット仏教の中心地であり、ゴンパが多い。それらは大体にみどりから抜け出た高みに位置している。ゴンパは多くの僧坊に取り囲まれている。

 ゴンパは極彩色の歓喜天図や輪廻図の壁画で飾られている。丁度、チベット仏教の重要な祭日が近い時で、幸運にもあちこちのゴンパで砂曼荼羅の製作作業を拝見する事ができた。

 チベット仏教理念の表象と言われている。世塵にまみれる前に河に流される。

(人里離れた瞑想センターの修行僧達)
(レーからカルギルに向かう道)

 ゴンパ巡礼で一応の高度順化を了え、8月30日に2台の車に分乗してレーを出発し、ザンスカールの中心地パダムに向かう。途中、ラマユルとカルギルに泊まる。印パ、印中の国境に近く、緊要な地であるため道路は良く整備されている。軍の駐屯地や警察の検問所が所々に設けられている。ラマユル近くまではインダスの流れに沿って下る。インダスと分かれてからは、二つの峠を越え、インダスの支流スル河畔のカルギルに至る。 

(ネモのインダスとザンスカール合流点)
(ラマユル近く月世界と呼ばれている地)

 ザンスカール河は氷河の融水であり白く濁っている。インダス河(左下)とくっきり色を分けている。ラマユル近くのムーンランドと呼ばれている土地は、かつて湖底であったものが上昇したものと言われている。この近くにも古い立派なゴンパがある。 

(カルギル近くの山容)
(カルギルの果物店)

 ラマユルからフォチュラ峠、ナミカラ峠を越えると山の姿が厳しく変わる。カルギルは印パ国境に近く、イスラム社会の町である。ここからスル河に沿ってザンスカールに向かう。 

(ヌン、7,135mの偉容)
(スル河源頭の湿原)

 スル河を遡り、ペンシラ峠に向かって道が屈曲し、ザンスカール山脈とヒマラヤ山脈に挟まれた圏谷に入ると北西ヒマラヤの山脈と氷河が迫ってくる。ひときわ立派な姿はヌンとクンである。しかし谷は広く、ペンシラ峠はどこが峠か分からないくらい広々とした平原になっている。峠からザンスカール河の上流ドダ河の方に下るとさらに谷は広がる。 

(ペンシラ峠近くから望む氷河) 
(我々を出迎えるザンスカールの子供達)

 ザンスカールで初めて出会った子供達はとても人懐こい様子であった。可愛い容貌の子供が多い。ザンスカールの中心にパダムが位置している。

(パダムにできつつある商店街)
(昔ながらのヤクに踏ませる脱穀)

 パダムはザンスカールの代名詞ともいえる。ゆったりと時が流れるような雰囲気の土地であるが、其処ここに近代的開発の兆候を感じざるを得ない。ホテルは十分に満足できるものであった。        

(ドダ河、カルギャック河合流付近)
(トレッキングの始まり)
 パダムの近くでドダ河とカルギャック河が合流しザンスカール河となる。9月5日パダムから徒歩でカルギャック河を遡り、目標のシンゴラ峠(5,100m)に向かうトレッキングに出発した。総勢はメンバー6、ガイド1、コック1、助手2、馬子3、馬11頭であった。
(カルギャックに沿うトレッキング道)
(あるキャンプサイト)

 谷は全く乾燥している。河の畔が少し広くなったところに、灌漑が施され、畑がある。道は危険なほどには厳しくは無い、歩行中は緊張を解くわけには行かない。 

(谷奥の学校)
(谷間の畑では麦の取り入れに忙しい)
 この付近はチベット系の住民が多い。しかし、チベット語はインドの公用語でなく、公立学校では教えない。村近くのゴンパの支援で私立の学校を運営し、子供達にチベット語と英語を教えている。畑は麦の取入れで大忙しの時期であった。石ころだらけの畑では生産性は厳しい事だ。しかし、ここには貧しくはあっても、文明国に於けるような富の較差による貧窮はないと言われている。 

 このような奥地にも大きいゴンパがある。ここはこの地の教育機関の役目も果たしている。

 19世紀の前半に、一人のハンガリー人学者がこのゴンパに15ヶ月滞在し、初めての英・チベット語辞書を作ったそうだ。 

(最奥地の聖山ゴンボランジョンの前で)
 
シンゴラ峠への道より望む峰
(シンゴラ峠への最後の登り)

 カルギャックの遡行を終わる頃、急に秋が深まったような雰囲気になる。天候の変化がかなり急になってきた。幸いにシンゴラ峠越えは無事に果たす事ができた。 

(シンゴラ峠に連なる峰)
(トレッキングを無事終了して)

 平均年齢69歳という高齢パーティであったが、阪本リーダーの余裕を持った計画と、慎重な行動で無事に目的を達成できた。そして、ザンスカールが極めて豊富なトレッキングルートに恵まれた地域である事が実感できた。元気な限り、飽くことなく楽しむ事ができる地域である。

 本稿の写真は、八太氏、伊藤氏の撮影によるものである。

 (より詳細な紀行は、AACK NEWSLETTER No.44及び45に掲載)

松浦祥次郎