O K Y A N 2008の報告
毎年秋恒例のOKYAN 2008は、'97を最初の年として今回で12回目である。今年も去る10月25〜26日兵庫県西播磨、揖保川上流の東山(1,016m)と千種川上流の植松山(1,191m)に登り無事終了した。参加者は昨年と同じ25名、今年初参加の清水節郎氏(ムスコ,’60年入部)が関東から、又おなじみ米子から薮内ラショー氏夫妻、福岡から野村オド氏が駆けつけてくれた。
第一日目の25日は、JR姫路駅に集合のあと専用のバスで揖保川上流の宿舎、東山温泉フォレストステーションに向かった。車中ではこの地に詳しい川崎アワモリ氏の講話があって、この地域のたたら製鉄の歴史や植松山登山口の岩野辺地区の地名の由来などについて、播磨風土記の記述を参照しながらのお話を伺った。ステーション到着後は中庭屋外で昼食のあと一旦荷を置いて東山の登山開始。ぶなの黄葉が輝く林道を、落ち葉の音もかさかさと山道を辿ること2時間弱で全員山頂に到着。折からの申し分なき秋晴れで周囲の眺望極めて良ろしく、西播磨の山々の遠望を楽しむことが出来た。
翌26日は予想に反して朝から雨模様。しかしそうひどい降りでもないので予定通り植松山に登ることとし、所用で朝帰りされる中島ダンナ氏、松井サルタン氏を除いた23名が専用バスと2台の個人車で出発した。バスは県道429号の登山口分岐点までしか行ってくれないので、これに乗った人は降車後雨具をつけ、林道の歩き約30分で登山口到着となる。一方車組は登山口まで車で入ったあと、バス組を待つ事なく先行出発。のんびり歩いて後発のバス組が途中で追いつくことを予定しての段取りだったが、これが後で一寸したトラブルの種となった。
登山道はまず谷沿いに約1時間半で小河内の滝を過ぎたあと、山頂に続く尾根に取っ付き急坂約40分の登りで山頂着となる。大人数のバス組はこのルートを辿り、登山口から2時間余で山頂に到達したが周囲はガスで何も見えない。雨は止んだが地面が濡れているので昼食はある程度下った所でとし、恒例ヤッホーの雄叫びだけで早々の下山となった。
一方先発の車組は、登山口から谷沿いに40分程の分岐点に設置された新しい標識を見て距離の短い尾根筋ルートを取ることにした。この標識は昨年11月の偵察時には無かったものだが、地元の団体が新道を開発したものと思いこれを探ろうと選択したものである。しかしこの道は約1時間登ったところで途切れ、暫くルートを探したがそこから先の登山道を発見できなかった。天候も悪く、幸いバス組とのケイタイ電話の連絡も取れたので、ここで撤退することにした。
このように今回は二つに分かれた別行動になったがそれぞれ宿舎に帰り、入浴後は暫しの間の歓談も慌しく、再び専用バスで姫路に帰り解散となった。
なお後日地元宍粟市の観光課に抗議の電話をした結果、地元のボランティアグループがルートの完成を待たずに標識を設置したことが判明した。
最後に今や恒例となった第一日目夜の懇親会で、2名にお願いした旅行体験のご講演の内容を紹介することで、プレゼンターへの謝意に替えることにしたい。
まず酒井オシメ氏が三大洋周航の旅。厳寒の1月3万トンクラスのクルーズ船で横浜港をたって太平洋、インド洋を経て喜望峰から大西洋、南米の南端から南極半島まで南下したあと再び太平洋。横浜に帰ったのが春も深まった4月、108日間の船旅を計160枚のアルバムに纏められた。
次いで寺本ショーチャン氏の北欧最北端オーロラ旅行記。1月フィンランドのヘルシンキから飛行便と陸上便を乗り継いで、ノルウエイ北極圏の町トロムソへ。旅のハイライトはここからヨーロッパ最北地点ノールカップ岬を目指すクルーズ船の旅。大阪帰国までの8日間、太陽の上がらぬ北極圏の暗闇の写真をうまく纏められた。
今年の参加者は、中島ダンナ、井上トッキュー、寺本ショーチャン、平井ポコ、青野オンビキ夫妻、酒井オシメ、松井サルタン、薮内ラショー夫妻、新井夫妻、川崎夫妻、*高村デルファー、岩坪ゴロー夫妻、川嶋オレッチ、*潮崎パイマン、高野ゴジラ、*井関、宝田ホーデン、中野、野村オド、清水ムスコの各氏。
幹事は昨年と同じ*印を付す3氏が担当、又川崎氏にはアドバイザーとして多大なご協力を戴いた。
来年は、カレンダーにより10月25日(土)~26日(日)が開催日。皆さん大勢の参加をお待ちします。
平成20年11月25日 潮崎 記
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東山山頂
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植松山山頂
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