2015年3月1日現在

キシュトワール登山小史 (インド・ヒマラヤ)

文責 阪本公一

 キシュトワール(Kishtwar) は、インドの北西部にあり、ジャムー地域の北東にある高地であり、1821年に、ジャム・カシミール州に併合された。

 キシュトワールは、ヒマラヤ山脈をかかえた風光明媚な土地で、ヒマラヤ杉、モミ、松等を中心とした豊かな森林があり、寺院の観光と共に、ヒマラヤ山脈の山麓での自然美の探索旅行が同地の観光事業となっている。 産物としては、サフランやキシュトワール山群で産出されるサファイアが有名である。

 サファイアは、ダイア、エメラルド、ルビーと並んで4大宝石のひとつに数えられるが、カシミール産のコーンフラワーの花の色に似たやや紫がかった濃い青色のサファイアは、「カシミールの青きサファイア」呼ばれ、世界で最高の珍品として有名である。この青きカシミール・サファイアは、キシュトワール山群で1881年に初めて発見され、スムチャン(Sumchan)村の近くに鉱山が開発されていたらしいが, 現在は廃坑となっているらしい。

 キシュトワール(Kishtwar)と言う地名は、かってこの地に住んでいだKishat Rishiと言う人の名前からきたという説や、Kishawarが変化してKishtwar になったと言う説があるらしい。

 キシュトワール山群は、ヌン峰・クン峰の南にあり、グレート・ヒマラヤ(Great Himalaya)の西側に位置し、多くの6000m台の山々をかかえた岩峰の多い山塊である。キシュトワ−ル山群もザンスカール山域と同様に乾燥地帯ではあるが、南部はモンスーンの影響を受けて森林が発達している。

 キシュトワールの住民は、ウマシラ峠( Umasi La )を越えてムルング谷(Mulung Tokpo)からザンスカールの中心地パダム(Padam)に至る交易路を利用して、ザンスカール人と交流してきた。

 スリナガールからのアプローチが短いこともあり、キシュトワール山群は、ヨーロッパ人には人気の山域で、1970年代、1980年代に数多くの遠征隊(特に英国隊)が入っている。 日本からも、札幌山岳会隊、広島山岳会隊、自衛隊、岐阜大学隊、東大隊等が足跡を残している。

 しかし、1990年頃より、パキスタンとの国境問題から、キシュトワール山群への入域管理が厳しくなり、登山許可がおりにくくなっている。2013年に英国山岳会のミック・ファウラー ( Mick Fowler ) が東キシュトワールの最高峰であるキシュトワール・カイラス(6451m)に初登頂したが、登山許可が取得出来たのは奇跡適だと言われている。

 又、この山域にもモスレムのゲリラが出没し始めているので、トレッキングの為に外国人の入域も厳しく制限されるようになってきている。キシュトワール山群に入る場合は、事前にIMFや関係当局に問い合わせておく必要があろう。


アイガー  Eiger      6000m   [33"33'・76"05']

「山容と地形」

ナント谷(Nanth Nala)の奥にある山。

「登山史」

1978年に、ポーランド隊(M. コカジ隊長)が初登頂した。


アギャソル  Agyasol    6200m       [33"21'・76"21']

「山容と地形」

コバン谷( Koban Valley )の奥にある岩峰。

「登山史」

1981年9月13日に,英国隊(E.エベレット隊長)がゴバン谷 (Koban Nala ) から入り、岩壁を登攀して東峰に初登頂した。その8日後に、英国隊(S. リチャドソン隊長)が第2登した。


アルジュナ  Arujuna   6230m      [33"26'・76"11']

「山容と地形」

キジャール谷( Kijar Nala ) の左岸にある山。

「登山史」

1976年に、英国隊(J. カント隊長)が試登した。1979年に、英国隊(P. メリング隊長)がブズム谷(Bhuzum Nala)から入り、北側から氷壁を登って稜線に出て登頂を試みたが、頂上直下100mで敗退した。1981年に、ポーランド隊(B. スマモ隊長)が初登頂した。

1982年に、Klub Wysokorgorki GdafistのSopot Cdyna Expedition (W. ウシャウ隊長)が東稜からアルジュナ南峰(6200m)に初登頂した。


ウマシ・ピーク  Umasi Peak    6020m     [33"25・76"32']

「山容と地形」

ウマシラ峠(Umasi La )の南にある山。

「登山史」

Ferrari, Bosio が初登頂した。


カリダハール・スパイアー  Kalidahar Spire  5900m    [33”27’・76”31’]

「山容と地形」

ダーラン谷(Dharlang Nala )の中流左岸にある山。

「登山史」

1988年に、英国隊(C.Schaschke 隊長)が初登頂した。

Kalidahar Spire North side ( by Mick Fowler )


キシュトワール・カイラス  Kishtwar Kailash   6451m   [33"24'・76"35']

「山容と地形」

東キシュトワールの最高峰。セロ・キシュトワール(Cerro Kishtwar)の北隣の岩と氷の鋭峰で、ダーラン谷(Dharlang River)からアプローチする。

「登山史」

2013年に、英国隊(M. ファウラー隊長)が南西壁から初登頂した。

Kishtwar Kailash (6451m) , taken by Mick Fowler


キシュトワール・シブリン  Kishtwar Shivling  6040m   [33"25'・76"27']

「山容と地形」

ブット谷(Bhut Nala)とダーラン谷(Dharrang River )の合流点にある氷と岩の鋭峰。

「登山史」

1983年に、英国隊(S. ベナブルス)が北壁から初登頂した。

Kishtwar Shivling North face ( by Mr. Stephen Venables)


グプタ・ピーク  Gupta Peak   6000m     [33”13’・76”35’]

「山容と地形」

ダーラン谷の中流左岸にあり、カリダハール・スパイアーの南東にある山である。

「登山史」

未踏峰

Gupta Peak North side ( by Mick Fowler)


コガユドスト  Khogayu Dost     5650m     [33”28’・76”30’]

「山容と地形」

ハグシュ谷(Hagshu Nala)の中流左岸にあるどっしりした岩山。

「登山史」

1980年に、英国隊(D.ヒレブラント隊長)が初登頂した。


シックルムーン  Sickle Moon     6547m     [33"36'・76"08']

「山容と地形」

キシュトワール山群の最高峰で、岩峰が続く難峰である。キアール川(Kiar River)の上流で、サルバル氷河(Sarbar Glacier)とシックルムーン氷河の源頭にある。

「登山史」

初登頂までに、4隊が敗退している。1965年に、英国隊 (C.R.A. クラーク隊長) , 1971年東京農業大学隊(山本浩隊長)、1973年に空海陸自衛隊(川上隆隊長)、1975年に自衛隊山岳友の会が挑戦したが、4隊とも登頂出来なかった。

1975年にインド隊(D.N. タンカー隊長)が遂に初登頂をした。

1979年に、日本山岳会学生隊(伝田克彦隊長)が南東稜から6415m峰に登頂している。

Sickle Moon from slopes above Hagush BC (by Mick Fowler)


スペアー  Spear    6000m    [35”20’・76”19’]

「山容と地形」

ブット谷(Bhut Nala)の左岸にある山で、ちょうどチショット村( Chishot )の東対岸に位置する。アギャソル・ウエスト(Agyasol West)とも呼ばれている。

「登山史」

未だ未踏峰である。


セロ・キシュトワール  Cerro Kishtwar    6220m    [33"21'・76"32']

「山容と地形」

ブット谷(Bhut Nala)の上流のチョモチャル氷河(Chomochoir Glacier)の奥にあり。 チョモチョイル峰(Chomochoir, 6322m)の南にある, 岩と氷の壮絶な鋭峰。

「登山史」

1991年に、英国隊(B. マーフィー隊長)が挑んだが頂上直下100mで残念ながら敗退した。

1993年に、英国隊(M. ファウラー隊長)が、チョモチョイル氷河からアプローチして見事に初登頂した。

Cerro Kishtwar (6220m), taken by Mick Fowleer


センテイネル・ピーク  Sentinel Peak      5900m    [33”18・76”35]

「山容と地形」

ダーラン谷 (Dharlang Nala ) の中流右岸にあり、ハプタル・ピーク(Haptal Peak )の南隣の岩峰。

「登山史」

1991年に、英国隊(B. レイド隊長)がキシュトワール・カイラス(Kishtwar Kailash )を試登した後に初登頂した。

Panoramic view of East Kishtwar (by Marko)


ダンダコポラム  Dandagoporum     6100m    [33"18'・76"30']

「山容と地形」

ダーラン谷(Dharlang River )の右岸の山。ハプタル・ピーク(又はハッタル)やセロ・キシュトワールの西側の山。

「登山史」

1986年に、英国隊のB.レイド隊長とE.ファーマ隊員が南壁から初登頂した。その後、他の隊員が北壁から第2登した。

KISHTWAR DANDAGOPURUM AND SENTINEL 9 (by Bob Reid)


チリング  Chiring        6100m    [33"32'・76"26']  

「山容と地形」

ビシャール(Bishar)村 の北にある、ビシャール谷(Bishar Nala )の源頭にある山。

「登山史」

1987年に、英国隊(A.ダンヒル隊長)が南稜から初登頂した。


チョモチオール  Chomochior      6322m    [33"22'・76"32']

「山容と地形」

ブット川(Bhut Nala )の上流のブジュワス(Bhujwas)村より、南東に入るチョモチョイル氷(Chomochoir Glacier )の源頭にある山。ムニ峠(Muni La)のすぐ南の山である。

「登山史」

1988年に、英国 (S. リチャードソン隊長)が岩壁左の氷のクロアールを登り西稜より初登頂した。

Chomochoir (by Mr. Mick Fowler )


ツーペンド2峰  Tupendo-2      5600m   [33"27'・76"23'」

「山容と地形」

カバン谷 (Kaban Nala )奥の左岸にある山。

「登山史」1984年に、サイモン・リチャード(Simon Richard )が単独で初登頂した。

1992年に、英国隊(J .バンバー隊長)が第2登。


ハグシュ  Hagushu    6300m         [33”30’・76”28’]

「山容と地形」ブット谷(Bhut Nalaの村であるスムチャン(Sumchan)村から北に入るハグシュ谷(Hagush Nala)の奥にある岩峰。ハグシュ峠の東に位置する。

「登山史」

1989年に、英国隊(M.R.ウイスソン隊長)が初登頂した。

2014年に、英国のMick FowlerとPaul Ramsdenの二人が北東壁を初登攀した。

Hagush east coulouir (by Marko Prezeji)

Hagush North Face ( by Mako Prezeji)

Hagush North side (by Mick Fowler)

Hangush with climbing line , left Hana's Men (by Marko Prezeji)


ハナズメン  Hana’s Men      6191m    [33”30’・76”30’]

「山容と地形」

ハグシュ谷(Hagus Nala)の奥にある山で、ハグシュ(Hagush)ピークの東隣の山。

「登山史」

2013年に、韓国人ブライン・ハイレンスキ(Bryan Hylensski)と Jake Presto, の混成隊が初登頂した。


ハプタル/ハッタル  Haptal/Hattal     6220m    [33"22'・76"35']

「山容と地形」

ブット川の上流のチョモチョイル氷河の右股奥にある山。セロ・キシュトワール峰の南にあるピーク。

「登山史」

1987年に、岐阜大学隊が初登頂した。


バルナジ1峰  Barnaj-1      6250m    [33”35・76”23’]

「山容と地形」

バルナジ氷河(Barnaj Glacier)の最奥の山。

「登山史」

現在も未踏である。


バルナジ2峰  Barnaji-2    6150m/6170m/6290m    [33"34'・76"23']

 「山容と地形」

ブット川(Bhut Nala)の中流の村マチャル(Machall)から北に入るバルナジ氷河 (Barnaji Gracier )の奥にある山。南峰(6150m), 中央峰(6170m), 北峰=本峰(6290m)の3っつピークがある。

「登山史」

1977年に、日本登山用具技術研究隊(Japan Alpine Instrument Technaue Club)が、マチャル村から入山し、西側から登頂をねらったが悪天の為断念。

1977年に、広島山岳会(久保信義隊長)が南陵からバルナジ2峰南峰(6150m)に先ず初登頂し、その後中央峰(6170m)に初登頂した。北峰(6290m)にも登ろうとしたがリエゾン・オフィサーから登頂を阻止されやむなく断念した。

1979年に、東大隊(久保田隊長)が、バルナジ2峰の南峰(6150m)と中央峰(6170m)に登頂した。北峰は、広島山岳会隊の後、3隊が挑戦したがいずれも敗退したようだ。

標高6290mの北峰は未だに未踏峰である。

Barnaj Peaks range (by Mick Fowler )


フラットトップ  Flat Top     6100m     [33"28'・76"05']

「山容と地形」

キバール谷(Kibar Nala )の源頭、及び カンゲ谷(Kange Nala)の源頭にある山。

「登山史」

1980年に、英国隊(M.R. ウイルソン隊長)が初登頂した。


ブラマー1峰  Brahma-1     6416m    [30"30'・76"01']

「山容と地形」

ナント谷(Nanth Nala )の上流のブラマー氷河(Brahma Glaicier) 又の名はバランザール氷河(Bhranzar Glacier )の奥、及びキハール谷(Kijar Nala )の源頭に位置する。シックルムーン峰の南12km, フラットトップ峰の南東5kmにあり、岩と雪の鋭峰である。山名は宇宙を動かし、想像するヒンドー教の神「ブラフマー」から名付けられた。

「登山史」

1913年に、イタリア隊(C. カルチアーテイ隊長)が初めてブラマー氷河を探査した。1965年に、英国ケンブリッジ大学隊がこの山塊を精力的に探査。

1969年及び1971年に、英国隊(C.R. A. クラーク隊長)が試登したが頂上直下で敗退した。

1973年に、英国隊(C. ボニントン隊長)がキハール氷河(Kijal Glacier ) から、南東稜経由で遂に初登頂した。

1978年に、英国隊(A. フィートン隊長)が第2登したが、2人が遭難死した。

1979年に、日本山岳会学生隊(伝田克彦隊長)が南東稜より登頂した。  

Brahma-1 ( by Chris Bonington)


ブラマー2峰  Brahma-2      6425m     [33"27'・76"09']

「山容と地形」

ナント谷(Nanth Nala)のブラマー氷河の右奥、及びキバール谷(Kibar Nala )の右岸奥にある。

「登山史」

1975年に、札幌山岳会隊(計良幸作隊長)が、ナント谷から6002m峰を経由して初登頂した。


マルデイファブラン  Mardi Phabrang    6032m   [33”17’・76”18’]

「山容と地形」

ブット谷 ( Bhut Nala )の左岸にあり、非常に複雑な地形の印象的な山。アギャソル山塊の最南端の山である。別名ガロル(Gharol)とも呼ばれている。

「登山史」

1978年に、インド軍隊が初登頂したとAmerical Alpine Journal報告しているが、登頂ルート及びどのピークに登ったのかは詳細不明。


ロニシッカール  Rohni Sikkar  6000m     [32”22’・76”40’]

「山容と地形」

セロ・キシュトワール(Cerro Kishtwar)の南東、ハプタル・ピーク(Haptal Peak)の東対岸にある山。

「登山史」

19991年に、英国隊(G.リトルタイ隊長)が初登頂した。

Rohini Sikkar from Kishtwar Kailash (by Mick Fowler)


「参考資料」

1.ヒマラヤ名峰辞典(平凡社発行 薬師義美・雁部貞夫著)

2.バルナジ登攀1977 (広島山岳会発行)

3.The Himalayan Journal

4.英国山岳会のMr. Stephen Venables, Mr. Mick Fowler, Mr.Simon Richardson, Mr.Bob Reid, Mr. Stephen Siegrist. Mr. Marko Prezelj, Mr.Carl Schaschke 等からの数多くの写真と情報提供。

5.インターネット情報