Muztagh Ata (7,546m)


Archives | 遠征隊派遣および初登頂の記録

Muztagh Ata (7,546m)

ムスターグアタ

京都大学ヒマラヤ医学学術登山隊の第1次隊として登山隊を派遣した。

1989年


隊員:
富永浩三
中山茂樹
白沢あずみ
藤田耕史
エキサン (カシュガル登山協会=連絡官)
謝雲 (新彊登山協会=通訳)

隊長:松沢哲郎
医師: 瀬戸嗣郎, 出水明


隊名:ムスターグ・アタ医学学術登山隊
写真提供:松沢哲郎

写真提供:松沢哲郎

写真提供:松沢哲郎


写真提供:松沢哲郎

頂上からスキーで滑降する。C3付近から北面を眺める。右手にコングール峰、眼下にはカラクリ湖が見える。


行程


4月29日
大阪発、北京着。
4月30日
北京、中国登山協会の要人と会談。
5月1日
北京、医学検査。
5月 2日
北京発、ウルムチ (900メートル)着。
5月 3日
ウルムチ、新彊博物館のミイラ見学。
5月 4日
ウルムチ、予定便が欠航となる。目的地 であるカシュガルが砂嵐のため。五四 運動の70周年記念日。
5月 5日
ウルムチ、また欠航となる。
5月 6日
ウルムチ発。またまた欠航となり自動車 (マイクロバス1台とランドクルーザ1台)で行くことにする。天山山脈を越え、タクラマカン砂漠を横切って、カシュガルまで約1500キロの道程である。荒涼とした砂漠とー木一草無い岩山が続く。夜も休まず走り続け、 24時間で完定した。
5月 7日
カシュガル(1400メートル)着。シルクロードの古くからあるオアシス。緑のポプラ並木が眼にやさしい。ウイグル人の街。イスラム教のエティカル寺院の祭日で、老若男女が多数集まっていた。
5月 8日
カシュガル、医学検査。
5月 9日
カシュガル発、ランドクルーザー2台と トラック1台。スバシ (3700メートル)着。キルギス人の寒村で、ヤクやウシやヒツジを放牧して暮らしている。途中、カラクリ湖から、初めてムスターグアタ峰を見た。ランドクルーザーで4000メートルまで登り、ムスターグアタ西面の登路の偵察。
5月10日
スバシ。ムスターグアタ西棲の偵察と高度順化のため、ヤンブラク氷河右岸のサイドモレーン(氷河堆積物)の台地4600メートルまで登って戻った。
5月11日
スパシ発、ベースキャンプ (BC)着。標高4350メートル。ラクダ15頭と馬2頭とロバ1頭に荷物を運んでもらった。
5月12日
BC、医学検査と荷物整理。
5月13日
第1キャンプ(C 1 )への登路の偵察と荷あげ。
5月14日
C 1への荷あげ。
5月15日
BCで休養。高度順化のため休む。
5月16日
C1への荷あげ。強風。悪天。
5月17日
風雪が激しく、 BCで停滞。
5月18日
C1設営、標高5350メートル。
5月19日
第2キャンプ (C2)への登路の偵察。 1本約50メートルのザイルを6本、氷壁に固定した。
5月20日
C2への登路の工作。さらに8本分のザイルを固定して、下降しながら別の登路の可能性を探った。松沢-富永のぺアが、ワンアットアタイム(1人が先頭を行くときもう一人がザイルでそれを確保する登り方)で行動していたとき、先頭の松沢がヒドン・クレバス(氷の裂け目が雪におおわれて隠れたもの)に転落した。傾斜の緩い雪面を下降中、突然両足からまっすぐに氷の裂け目に落ちていった。空中を約10メートル落下して、ぶらさがるように止まった。幅が約2~3メートル もある巨大なクレバスだった。側壁はカンカンの蒼氷で垂直にそそり立っている。携行していたユマール(ザイルをよじ登る道具)を使って約2時間、宙吊りの状態からザイルをよじ登った。
5月21日
C2への登路の工作。雪が風にとばされて全山が氷のよろいをまとった感じになった。
5月22日
C2への登路の工作。日本から持ってきた18本のザイルを使いつくした。
5月23日
中山と富永を C1に残し、あとの 5人は BCに下山。瀬戸はカシュガルにザイル を調達しに戻る。
5月24日
C 1とBCにわかれて休養。瀬戸がザイルを調達して帰ってきた。
5月25日
中山と富永、 C2の位置まで到達。
5月26日
C2設営、標高5900メートル。
5月27日
出水、中山、富永の第1次アタック隊が、第3キャンプ (C3)までの登路を開拓して C3を設営、標高6500メートル。 C 2から上は雪が深く、登りにスキーを使う。松沢らは C2へ。
5月28日
第1次アタック。出水、中山、富永。登路の目印となる赤旗を立てながら進む。標高7250メートル地点で、時間切れのため登頂を断念し引き返す。松沢らは C3へ。
5月29日
第2次アタック。松沢、白沢。昨日の赤旗に助けられて登った。標高7450メートル地点で、天候の急変と時間切れのため登頂を断念し引き返す。
5月30日
第3次アタック。富永、藤田。登頂に成功した。スキー登頂。
5月31日
第4次アタック。松沢、中山、白沢。前日に続いて登頂に成功した。頂上までスキーで登り、頂上からスキー滑降した。
6月1日
C3からC1まで降りる。
6月2日
C1を撤収して BCに下山。
6月3日
BC、医学検査。
6月4日
C1に登って、残りの荷物を撤収。ムスターグアタに登り、何物も残さず、ゴミもすべて持ち帰ることができた。迎えのラクダ15頭がキルギス人の遊牧民につれられてやってきた。
6月5日
BCから下山。スパシを通過してカシュガルまで。
6月6日
カシュガル発、ウルムチ着。
6月7日
ウルムチ、帰国荷物の整理。
6月8日
ウルムチ発、北京着。空港には「強制送還」用の飛行機が待っていたが、強く希望して北京市内に入る。用意されたホテルには、他に一人も客はいなかった。
6月9日
北京発、大阪着。天安門前広場は戦車と装甲車に埋めつくされ、街路には焼けただれて放置された車と銃を構えた兵士の数がおびただしい。


出典:松沢哲郎(1990) 第一次京都大学ヒマラヤ医学学術登山隊報告、ヒマラヤ学誌、1号、3-10
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