Noshaq (7,492m)
ノシャック
1960年8月17日
1960年初登頂に成功した。カラチ港からトヨタ軍用車1台と荷物を陸送 カーブルからワハーン渓谷の玄関口イシュカシムまでゆく
隊長:酒戸弥二郎
副隊長:吉井良三
隊員:
沢田秀穂
広瀬幸治
酒井敏明
岩坪五郎
講演当日の資料と映像(映像は会員のみ閲覧可)です。
8月17日午後6時 12時間のアルバイトののち最高点の岩屑の上に座り込んだ酒井隊員
写真提供:酒井敏明頂上の岩坪五郎
写真提供:酒井敏明第二キャンプ(4,500m)右から岩坪、沢田、酒戸、吉井、広瀬
写真提供:酒井敏明
カーブルでは登山許可取得にてまどる オテル・ド・カーブルの1室で作戦会議
写真提供:酒井敏明
廣瀬が運転をひきうけ大型ジープはバダフシャン州の悪路をものともせず東へすすんだ
写真提供:酒井敏明
前方の約3000mのサルダブ峠の向こうにはアムダリア源流域ワハーン通廊が待っている
写真提供:酒井敏明
ワハーン渓谷の南岸は雪をかむるヒンドゥークシュを背負うアフガニスタン領
北岸はソ連圏タジク国
写真提供:酒井敏明
複雑に屈曲する国境稜線から北へ流れるカジデー川水源にアフガニスタン最高峰(7492m)はあった
写真提供:酒井敏明
カジデー氷河の末端約3700m付近 一面黒い粘板岩の堆石におおわれている
写真提供:酒井敏明
右岸から注ぐ支流シャー氷河の奥をみるとノシャック西峰(7250m)がきびしい氷壁を落としていた
写真提供:酒井敏明
ノシャック西峰の麓カジデー氷河上高度4500mにCampⅡを建設した 主峰は左のスカイラインの奥にある
写真提供:酒井敏明
小さな池のそばに作ったCⅡから氷河下流方向をみおろす 北流するカジデー谷は右へおおきく屈曲する
写真提供:酒井敏明
氷河源頭にちかい高度5500mにCⅢを作った おくれて登場したポーランド隊も近くにかれらのCⅡを張る
写真提供:酒井敏明
氷河つめの鞍部から主稜線(国境稜線)を左に折れ稜線上のCⅣ6300m付近から西峰最高点をあおぐ
写真提供:酒井敏明
登頂の朝2番目の岩峰を登り終わり頂上稜線のかなたに初めてノシャック本峰の最高点をとらえた
写真提供:酒井敏明
AACKの旗を結び付けたピッケルを持って立つ岩坪隊員
写真提供:酒井敏明
真南の方向約20kmのかなたにヒンドゥクシュ最高峰ティリチミール(7706m)がどっしりとかまえていた
写真提供:酒井敏明
1991年にティリチミールに登頂した日本山岳会京都支部隊が撮影したノシャック 右はイストルオナール
写真提供:酒井敏明
ポーランド隊が撮影したわがCⅢの酒井と岩坪
写真提供:酒井敏明
前進根拠地となった第Ⅱキャンプには隊長以下全員が待機した
写真提供:酒井敏明
CⅡにおける吉井副隊長と廣瀬
写真提供:酒井敏明
ポーランド隊BCを訪問 交歓のひと時をもった 彼らは8月27日7人が登頂、他の6000m峰にも登った
写真提供:酒井敏明
ベースキャンプを撤収する日カジデー谷出合の対岸タジキスタン領パミールの山(5864m)を望見する
写真提供:酒井敏明
ピャンジ河下流イシュカシム方面を見る 右岸はタジキスタン領
写真提供:酒井敏明
中国領パミールからの避難民たちは荷物をやまのように積んだヤクを連れてのがれてきた
写真提供:酒井敏明
高原の湖海抜3110mのシワ湖岸を散策する酒戸隊長と廣瀬