ザンスカール(インド・ヒマラヤ)未踏峰探検と人の縁

阪本公一

 ザンスカールの未踏峰探検に、いきなり私が飛びついた訳ではない。 多くの人達との御縁が、 インド・ヒマラヤのザンスカールの未踏峰探検に私を誘い出すきっかけとなった。

 京大山岳部の先輩である高野昭吾氏の長女「たかのてるこさん」が、「ダライ・ラマを恋して」と言う本を出版され(2004年9月15日、幻冬舎発行)、高野先輩から御寄贈いただいた。「たかのてるこさん」の名文で、この本の中心となっているインド北西部のラダックの純朴な住民と美しい自然に、すっかり魅了されてしまった。

 更にラダックについて知りたいと、いろいろインターネットで検索してみたところ、京大山岳部の大先輩の川喜田二郎氏に私事され、ヒマラヤ保全協会で活躍されている鎌田陽司さんがスエーデン生まれの言語人類学者であるHelena Norberg-Hodgeさんが執筆された書籍「Ancient Future, Learning From Ladakh」(1991年Oxford University Press)を翻訳された事が紹介されていた。早速、翻訳本の「ラダック懐かしい未来」(2003年7月10日、山と渓谷社発行)を買い求め、何度もむさぼるように熟読した。

 ヘレナさんは、ラダックが外国人に開放された翌年の1975年から十数年間ラダックに毎年数ヶ月間滞在され、ラダック人やザンスカール人との交流を積み重ねてラダックの文化や伝統を経験され、ラダックのエコロジカルな発展の為に「レデッグ」(Ladakh Ecological Development Group)を設立した女性である。鎌田陽司さんも、数年間ラダックに滞在されて、世界にラダックの情報を発信するヘレナさんに共鳴してヘレナさんを日本に紹介すべく今回の翻訳本の出版となったらしい。ヘレナさんが来日された時、講演会で2度彼女のラダックの話を聴く機会を得た。

 ラダックに興味がますにつれ、より詳しい知識を得たいと本屋で探しまわり、高木辛也著「ラダック」を発見し(2001年6月21日、旅行人ウルトラガイド発行)買い求めた。 この本によると行政区域としてのJammu & Kashmir州の中に、ラダックとザンスカールがあるとの事で、人口的にはラダックが圧倒的に大きいが、ザンスカールはグレート・ヒマラヤに囲まれた風光明媚な山岳地域なる事が詳しく書かれていた。

 ラダックのLeh 近辺にある数多くのチベット仏教のゴンパ(寺院)を訪問すると同時に、ザンスカール最北部にあるNun(7135m)、Kun(7077m)からずっと南に連なるグレート・ヒマラヤのザンスカール連山を一度眺めてみたいと、約2年がかりでインド・ヒマラヤ旅行の企画を練り始めた。

 いろいろ検討した結果、New Delhiから飛行機でラダックのLehに入り、数日間ゴンパを参拝した後、チャーター車でKargilからPadamに行って、PadamからTsarap河沿いにトレッキングをして、Shingo La (5045m)からDarchaに行く計画を立てた。Darchaから車でManali経由Shimla まで行き、そこから有名なToy train に乗ってDelhiに戻る事とした。

 メンバーは、紆余曲折があったが、京大山岳部の先輩の松浦祥次郎氏、谷口朗氏、福本昌弘氏、伊藤寿男氏と山城高校の同級生の八太幸行氏と私の計6名となり、2007年8月に行く事とした。

 Nun, Kunを経てDarchaまでいたるグレート・ヒマラヤには東側がザンスカール山群、西側はキシュトワール山群と山並みが連なっていて私達を興奮させた。ネパールと違って、宿泊施設のロッジが全くないザンスカールは、テント生活の毎日であり、それだけ山登り本来の楽しさが味わえる。

 PadamからSingo Laに行く途中、Reru 谷の出合いより少し入って谷の奥を覗いてみたら、魅力的な6000m前後の山々が連なっていた。「Reru谷周辺の山々は既に登り尽くされているのだろうか?」「それとも、手つかずの未踏峰として残っているのだろうか?」との深い関心が湧いてきた。帰国後、ヒマラヤン・クラブの友人Satyabrataさんに早速問い合わせた。ザンスカール南部の山々は、殆どが未踏峰のままで残されている筈だが、「自分は詳しい知識を持っていないので、ヒマラヤン・クラブの重鎮のHaris Kapadiaさんに問い合わせたらどうか」 との貴重なアドバイスを貰った。

 Haris Kapadiaさんから早速返事があり、「ザンスカール南部は未だ誰も登りに行っていない未知の山域です。詳細な登山記録はIMFに問い合わせた上、是非あなた方で未踏峰探査をトライしてみてください。」 と暖かい励ましの言葉を頂戴した。

 これら多くの方々と の御縁とアドバイスのお陰で、私のザンスカールの未踏峰探検がスタートするきっかけになった訳である。

 2007年以降の私の海外の山旅は、下記の通りである。

1.  2007年8月22日~9月26日: ザンスカール・トレッキング(Padam - Darcha)
2. 2008年10月10日~11月18日: ネパール、ラムドン・ピーク(5925m)登山。
3. 2009年4月12日~5月9日: ネパール、ランタン谷 ~ ヘランブー・トレッキング。
4. 2009年8月6日~9月12日: ザンスカール、Reru 谷未踏峰探検。
5. 2009年8月6日~9月12日: Leh 近郊の土石流災害が発生の為New Delhiより帰国。
6. 2011年4月6日~5月9日: ネパール、ガネッシュ氷河内院の未踏峰探査。
7. 2011年8月4日~9月15日: ザンスカール、Lenak 谷&Giabul 谷未踏峰探検。
8. 2012年6月27日~8月1日: Temasa 谷・Gompe 谷・Haptal谷未踏峰探検
9. 2013年6月26日~7月9日: ラダック、Tso Moriri 及びNubra 谷トレッキング。
10. 2014年6月13日~7月4日: インド・ヒマラヤ、キナール&スピテイ未踏峰探検。
11. 2015年8月4日~29日: ラダック、Tso Moriri トレッキング。
(ラダック最南部のParang 谷の未踏峰探検で出かけるも豪雨の為にParang谷に入れず、Tso Moriri周辺のトレッキングだけに終わった)。
12. 2016年8月2日~27日: ザンスカール、Mulung谷の未踏峰探検。
* Reru 谷の未踏峰探査、Lenak谷・Giabul谷の探査、Temasa谷・Gompe谷・Haptal 谷の未踏峰探査で、一応ザンスカール南部の大きな谷の探検が終わったので、未だ6000mの未踏峰がたくさん残っている、キナール・スピテイ山域や、ラダックの最南部のParang 谷の探査に手を伸ばす事にした。
* 私の海外の山旅の記録は、AACK(京都大学学士山岳会)のホーム・ページ(http://www.aack.or.jp、2011年以前の記録は会員のページに掲載)及び東京雲稜会の友人前田恵久さんのホーム・ページ(http://www.e-iori.sakura.ne.jp )に掲載されていますので御興味あれば御覧ください。 私の記録で何か御質問があれば、御遠慮なく下記にお問い合わせください。E-mail: sakamotogudo@cronos.ocn.ne.jp
* ザンスカールの未踏峰探検英文記録については、日本山岳会の英字情報誌 Japanese      Alpine News(JAN), インドHimalayan ClubのThe Himalayan Journal(HJ)、及びアメリカ山岳会のThe American Alpine Journal(AAJ)にも寄稿してきました。
* 日本山岳会東海支部発行の100周年記念誌「インド・ヒマラヤ」(2015年12月1日発行)の「ザンスカール」及び「キシュトワール」の章を執筆。
* ザンスカールに行き始めてから、ラダックの大先達の沖允人さん(ラダックが外国人に開放されて世界で初めて1974年にラダックに入った方)、1977年にキシュトワールのバルナジ2峰中央峰(6170m)の初登頂をされた広島山岳会の名越実さんや、1980年にザンスカールのZ1 峰(6181m)に初登頂された北大ワンダフォーゲル部OB会隊の大内倫文さん達とも交流が始まり、いろいろと貴重な情報を貰い御教示いただいた。

 私が国内外に情報発信したザンスカール未踏峰探検の記録を読んで、数多くの世界のクライマー達が、知られざる未踏峰の挑戦に出かけて素晴らしい記録を残してくれた事は、年寄りの私達にとって、何よりも嬉しい事であり且つ大きな励ましとなった。

 今までに下記の遠征隊が、私達の記録を参照してザンスカールに遠征してくれました。

1.  2011年8月: 長野労山マスターズ隊;
Reru谷右股(Nateo Nala)の無名峰5890mに初登頂。
2. 2011年9月: 英国Imperial College London 隊;
Reru 谷無名西谷(同隊がTetleh Nalaと命名) のLama Jisma Kangri (6276m), Bhaio AurBheno Ki Khushi (5980m), Moel Kangri (5930m)に初登頂。
3. 2012年8月: スイス山岳会ジュネーブ支部隊;
Reru 谷の左股(Katkar Nala)の未踏峰Red Apple (6070m), Gocook (6050m), Tong'a Ri (6040m)に初登頂したと発表したが、自分達の命名した山名で且つ自分達の測量した高度で記録し概念図も添付しなかった為、どの山に登頂したのか極めて曖昧だった。その後IMFと一緒にチェックしたところ、Tong'a Ri (6060m)は京大山岳部隊がスイス隊登った直後の2012年9月に登頂したP6080(L13)なる事が判明した。
4. 2012年8月: スコットランド山岳会隊;
Gibul谷の支谷であるNamkha Tokpo奥のP6150(G22)West Peak及びP5850(G23)に初登頂した。
5. 2012年9月: 京都大学山岳部隊;
Lenak 谷左股のP6080(L13)に登頂。IMFは初登頂と認めたが、実際にはピークにケルンがあった(無許可登山をしたスイス隊の痕跡なる事が後日判明)。
6. 2012年9月: 日本山岳会学生部隊;
Lenak谷右股P6165(L10)に初登頂。
7. 2013年8月: ギリシャ隊;
Reru 谷左股(Katkar Nala)の未踏峰P6148(R35)及びP6158(R26)に初登頂。R35をKatkar Kangri, R20をMukti Kangriと同隊が命名した。
8. 2014年7月: インド Himalayan Club Kolkata Section隊;
Gompe谷最奥のP6184(T13)に初登頂。
9. 2014年8~9月: 学習院大学山岳部隊;
Lenak谷左股のP6070(L15)に初登頂。同隊はこの山をGyalmo Kangriと命名した。
10. 2014年9月: 英国山岳会隊(Derek Buckle 隊長);
Temasa Nalaの支谷Korlomshe Tokpoの未踏峰Temple (5947m), Kusyabla(5916m), Matterhorn に初登頂。
11. 2015年9月: スロバニア隊;
Reru 谷の西谷(Tetleh Nala)の未踏峰Khumcha Ri(6064m), Kunlong Ri (6058m), Ri Pok (6210m)に初登頂。
12. 2015年9月: 日本大学山岳部隊;
Gompe 谷の未踏峰P6162(T19)とP6157(T20)に挑戦するもT19とT20のコルからの稜線が厳しく残念ながらやむなく撤退した。
13. 2016年6月: ルーマニア隊;
Gompe谷の未踏峰P6431(T13)South Peak に初登頂。

 ザンスカール南部の谷で未だ私達が未踏峰探査に出かけていないMulung Tokpo谷周辺には6000m峰は数座しかない。が、IMFの情報ではこの山域での正式登頂記録はないとの事なので2016年8月にザンスカール南部の最後の未踏峰探検に出かける事にした。 

 5月末に痛めた私の右足首の捻挫が悪化し私の体調は極めて悪く、ノロノロとした歩行で、Omasi Laに突き上げるNabil Nalaへ上がる事は出来なかった。5000m台の未踏峰しか写真を撮ってくることが出来なかったが、のんびりとしたトレッキングをそれなりに楽しむ事ができた。

 今回も、2007年以来御世話になっているLehにあるエージェントのHidden Himalayaの ツワン・ヤンペルさんと奥さんの上甲紗智さんにサポートして貰った。

 私のザンスカールやラダックの旅は、多くの人の御縁で続けられたと感謝の気持ちで一杯だ。

Padam から眺める Gompe 谷の 未踏峰 P6157 (T20)
Reru 谷入り口の 未踏峰 P6071(R1)
Temasa 谷支谷 Korlomshe 谷の未踏峰 のP5957 (T10)

以上