Sasagamine Hütte in the Snow

笹ヶ峰ヒュッテ写真集 <冬>

笹ヶ峰といえば、やはりこの季節。雄大で美しい雪山と一面の銀世界をお楽しみいただけます。

Sasagamine Huette in the Snow
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写真および文章: 高尾文雄

京大ヒュッテでの年越し
(2002年12月30日~2003年1月2日)

メンバー:羽根田、山田、高尾(以上AACK)、
木村(笹ヶ峰会)、木村、津田、 中村(以上JAC京都支部)、
奥村夫妻、木村、堀越、福士、(以上JACアルパイ ンスキークラブ)、
及川、伊藤、村上(以上水沢山岳会)、
森(JAC青年部)、加 藤    計17名
12月30日 晴れ後曇り
絶好の天気の下、杉ノ原スキー場の高速リフト乗り場で集合した。これから開く大宴会用の食糧とお酒が入った重い荷物を背負い、高速リフトを二本乗り継いだ。Jバーリフトの乗り場まで一滑りし、シールを付けて一列になって歩き出す。あまりに快適な滑りだったので、歩き出す前にもう一、二本滑りたい気持ちを押さえ、トレースをたどり黙々と歩いた。
入山日にはもったいないほどの無風快晴で、高妻、乙妻、天狗原、金山、焼山がくっきりと見えた。池ノ峰を越える手前からはわずかなラッセルとなったが、問題なく順調にヒュッテまでたどり着いた。ヒュッテ廻りの雪の量はほぼ平年並みで少なくはなかった。無事の到着を祝いすぐにビールで乾杯した。夜はキムチ鍋をつつきながら、持参した各地の美味しい酒を飲んだ。

12月31日 晴れ後曇り
 富士見平から南西へ派生する尾根の先端に弥八というピークがある。夏は道もなく薮で登ることは出来ないが、冬はスキーでアプローチできる。今日はそのピークを目指した。
 今日も天気はまずまず。夏道沿いに黒沢橋を目指してラッセルする。藪が少し煩わしいが、ラッセルは順調。黒沢橋を渡り、一段上がってから左へトラバースする。広い平原のような沢床に出る。これを横切り尾根に取っ付いた。ジグザグを切って登るが、雪崩が怖いので藪の濃い斜面を選んだため登りづらい。キックターンの練習にわざとたくさんジグザグを切って登った。尾根に出てからは少し急な稜線をジグザグを切って登ると弥八の頂上に着いた。この辺りから天気は曇ってきて、火打山と焼山が雲のかなたにかすんで見えた。
 弱層テストを行い、雪がほぼ安定している事を確かめてから、ブッシュを避けて疎林の谷間を滑り降りた。気温がかなり上がってきていて、登りであれほどパウダーだったのにもう雪が腐っていた。重い雪を各自思い思いのシュプールをつけて滑り降りる。
 黒沢橋までは今日付けたトレースに沿って少し登り返す。橋を渡ってからは藪を避けながら登りのトレース沿いに林道まで滑った。
 ヒュッテに帰るなり「やれやれビール」で皆で乾杯し、延々と続く宴会が始まった。

写真および文章: 高尾文雄

京大ヒュッテでの年越し(2003年1月1日撮影)

1月1日 晴れ夜から雪
 元旦の朝は穏やか明けた。黒姫の左手から出た初日の出を拝み、JAC京都の方々による、京都のお雑煮を食べて皆で新年のお祝いをした。
三田原山へのツアーはこれまでも年末に何回かトライしたが途中で断念していた。今年は幸運にも絶好の天気となりチャンスに恵まれた。
 柄沢左岸をブッシュを縫うようにラッセルで上がる。特に深いラッセルではなく順調に進んだ。ピーカンの天気の下、振り返ると北アルプス、高妻、乙妻が間近に見える。オオシラビソのタンネ帯を越えて、ダケカンバの疎林をジグザグに登るとあっけなく外輪山の稜線に出た。目の前には妙高山、左手には遠くに日本海がはっきり見える。右手の奥には浅草岳、越後三山、巻機山、苗場山、横手山、志賀高原、菅平。振り返ると北アルプス、高妻、乙妻、天狗原、金山、焼山、火打山のパノラマが楽しめた。
 外輪山の稜線を三田原山の山頂を目指し辿る。頂上で記念写真を撮って、いよいよ大滑降が始まる。ダケカンバの疎林を思い思いのシュプールをつけて滑る。本当に気持ちの良い滑りを楽しんだ。その中でも、水沢の方々の滑りは全くレベルが違って素晴らしかった。
タンネ帯を越えてからは柄沢に入り、ブッシュを避けた。途中の滝や堰堤は右岸を高巻いた。
 林道まで降りてから笹ヶ峰牧場の鎮守の森にある笹ヶ峰神社に初詣に行った。皆で今日の幸運とこれからの山スキーの安全を祈願した。三々五々真っ白な平原と化した牧場を横切ってヒュッテへと戻った。すぐに「やれやれビール」で乾杯し夜遅くまでの大宴会が始まった。夜はなつかしの歌合戦となった。その頃から雪は本降りとなり、屋根から次々と雪が滑り落ちていた。
1月2日 雪  昨晩からの大雪で辺りは一変し、京大ヒュッテの冬らしい景色が大きな窓から眺められた。やはりこの吹雪の景色がないと、真冬にきた実感が無い。この大窓から吹雪を見ていると何故か心が落ち着く。ストーブの燃える火を眺めているのと同じく飽きずに時間を忘れていつまでも心静かに見てしまう。  いよいよ下山のときが来た。後片付け、水抜きをして出発する。ラッセルはスキーを履いても、腿辺りまで優に来る大雪である。強力メンバーを先発で出しラッセルを急いだ。昨日までのトレースは全く消え、すさまじいラッセルとなった。15名が代わる代わる必死になってラッセルしてもなかなか進まない。後ろの方は寒いくらいにしかスピードは上がらない。それにしても水沢の二人は強かった。バケモノのような体力だ。時にはセカンドをぶっ千切ってラッセルしていた。
 池の峰を越えて下りにかかってもラッセルはすさまじく、全く滑らない。しかし、スキー場が間近になると、やっとピッチが上がり昼頃にスキー場に出た。
 そこで解散とし、皆思い思いにスキー場を滑り降りていった。また今年の年末の再会を期して。

<時間記録> 12月30日
11:50 妙高杉ノ原スキー場Jバーリフト乗り場下―2:30京大ヒュッテ着
12月31日
 8:00出発-9:30―50黒沢の橋―11:00尾根に登り着く(ブナ林)- 12:10頂上着 -1:00スキー滑降開始-2:20黒沢の橋を渡り左岸台地-3:00京大ヒュッ テ
1月1日
7:00過ぎから晴れてくる。 天狗原山、金山、焼山朝日に輝く
7:30 初日の出
8:20 三田原山へと出発-9:10―20休み 次第にブナ、ダケカンバとシラ ビソの針広混交林となりヤブ少なくなる-12:00三田原山三角点ピーク(234 7m)-12:15スキー滑降開始-1:20林道に出る-笹ケ峰神社に初詣をして ヒュッテへ帰る。
1月2日
8:40先発出発-9:00後発出発-12:00杉ノ原スキー場に帰着
以上





写真と文: 羽根田博正

笹ヶ峰便り2002年3月その2 (2002年3月撮影)
富士見平への登り。クトーが快調に効く

笹ヶ峰便り2002年3月その2 羽根田博正
3月28日から30日まで笹ヶ峰に上がりました。 メンバーは田中二郎、羽根田博正、西田正規、杉山茂の4名です。 火打ち山を目指しましたが、悪天候のため天狗の庭の少し上より引き返しました。
3月28日:ヒュッテ入り。第二リフトより池の峰コルへ降りる。コルからのトラバースはすでにブッシュが相当出ていた。
3月29日:朝5時にヒュッテを出発、黒沢沿いに富士見平へと上がる。富士見平への登りはスキーアイゼンが快調に効く。高谷池ヒュッテまで足を伸ばす。9時着。 高谷池ヒュッテは二階が開放されいる。腹こしらえをして火打山へ向かう。風が次第に強くなり、天狗の庭あたりでは視界が利かず横からの風に抗して斜めの姿勢で歩く。でも、春らしい風雪でした。あと頂上まで半時間くらいだろうか?引き返す。11時半。ヒュッテ到着13時半。
3月30日:沈殿。雪洞を掘ったりする。
4月1日:下山。
やはり雪は少ない。5月の連休時には富士見平へは、十二曲がりをスキーを担いで、登らねばなるまい。詳細は略します。写真を載せます。


写真と文: 羽根田博正

笹ヶ峰便り2002年3月 (2002年3月撮影)
黒沢上部

写真と文: 羽根田博正

笹ヶ峰便り2002年3月 (2002年3月撮影)
黒沢上部

笹ヶ峰便り2002年3月
2002年3月21日から24日までヒュッテに行ってきました。 メンバーは、 羽根田博正、 永田龍、杉山茂、 川久保忠通、 本多武夫、 内山達 の6名です。 あいにく天候があまりよくありませんでしたが、全員十分にスキーを楽しみました。 詳細のデータは省略しますが、積雪は例年より少ない。ヒュッテの前で1メートルくらい少なめ。 黒澤の瀧は一部すでに出ていた。


写真と文章:瀬崎夏志

笹ヶ峰ヒュッテ便り(2001年2月撮影)
ヒュッテ東側の様子(道路から撮影)

笹ヶ峰ヒュッテ便り(2001年2月撮影)
ヒュッテの状況の報告および感じたことを。ちなみに、天候は2/22:快晴、2/23:快晴のち曇、夜から小雪が舞う、2/24,25は雪、です。
1. 2/24現在の積雪量は、昨年の3/30現在の様子(AACKのHPの写真)と比較して、30-40 cmほど少ない状況です。(それ以前は、(スキー場では)1週間くらい雪がふらなかった様子です。)雪の積もり方は昨年とほぼ同じです。(北東側が多く、南西側が少ない。)しかし、2/25に大量の降雪(スキーをはいて膝下までのラッセル)があったので、少し増えているかもしれません。
2. 2/25現在、東側の屋根の下端と積もった雪の上端の間隔が150 cmくらいしかありません。これから入る人には、その部分の雪かきをするよう指示を出したほうがいいかもしれません。(旧ヒュッテでは屋根の雪が地面とくっついたために、屋根の先端(部員部屋付近)が曲がったことがありました。)  
3. マッコウさんたちも(ヒュッテ日誌に)書いていましたが、マキの消費が非常に早いです。今回のような入り方(1人で利用)をする場合、マキを運ぶ手間を考えると、ストーブの使用を躊躇してしまいます。来年以降、対策を考えたほうがいいのではないでしょうか?(木の種類を変える、混ぜるなど。)
4. トイレのタンクへのパイプを開けたまま寝たら、次の日タンクの周辺が水びたしになっていました。タンクへの注水は、しない方がよかったのでしょうか?
5. 最後の晩は、現役といっしょになりましたが、人数が増えると装備が増えるため、ストーブの周りに(乾かそうとする)装備があふれ、場所が狭くなります。旧 ヒュッテにあった網のようなものをストーブの上に設置した方が、スペース上効率的だと思います。
6. ゴミの焼却を行いましたが、降雪中に行ったので、完全には燃えませんでした。天気がいいと燃やせるかもしれませんが、悪天であるとうまく燃えないこともあると思います。そのため、燃えるゴミ燃焼用のケロシンのようなものを用意した方がいいのではないでしょうか?また、ゴミの処理方法を変えたほうがいいような気もします。小人数のパーティーだと、2 m近い穴を掘る(地面まで掘り当てる)のは不可能だと思います。むしろ、燃えるゴミ、生ゴミを燃料を用いて完全に燃やして灰にする方が、わかりやすいと思います。










写真提供:杉山 茂

初めて冬を越す(1999年冬撮影)
1999年12月29日午後ヒュッテ三階のベランダから望む笹ヶ峰の雪原と黒姫山

初めて冬を越す(1999年冬撮影)
写真には載せていないが、部員部屋の窓はほぼ埋没していた。12月30日夜、外気が零下4度のとき、室温は18度。翌31日の昼過ぎ、ストーブを焚かずとも室温は20度近くまで上昇した。1月1日に現役が下山した後、2日ジロー氏とグズラがヒュッテに入った。前夜ストーブが使用されていない状態で室温は10度あった。寒暖計の所在は、2階南側の戸棚である。 12月29日から1月2日までの天気は、晴れまたは快晴であった。 12月29日および1月2日、BBヒュッテから笹ヶ峰ヒュッテに3時間弱で到着した。(スノー・モービルによるラッセルつき)。1月6日、グズラは三田原高速第3リフト横のシャクナゲ西側斜面を、池ノ峰北側のコルまでブナの疎林の中を滑降した。積雪はまだ少なかったため下部で薮にやや苦労した。しかし、シャクナゲリフト終点からゲレンデをはずれて滑降し、コル付近まで1時間弱で到着した。
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