AACK Archives

1991年冬 梅里雪山遭難

Meili Xueshan (6,740m)

梅里雪山

Meili Xueshan (6,740m)

AACKは1991年冬に梅里雪山で日中合同17人が雪崩で遭難死するという惨事を引き起こしました。
このページでは、遺体および遺品の捜索/発見の記録を公開しています。

梅里雪山 (写真提供 小林尚礼. http://www.k2.dion.ne.jp/~bako/)

1991
 1月3日~4日
日中17名遭難

1998
 7月18日
明永村民3人が放牧中、 明永氷河(ナイノゴル氷河) 3800m付近で遺体と遺品を発見。
第1次収容隊 派遣

メンバー
日本側:牛田一成、中川 潔、伊藤 宏範、小林 尚礼の4名が、7月28日発、
中国側:李至新、 干良璞 、 羅申
雲南側:劉長寿、 木世俊、 袁紅波、 尼瑪甲称、 高虹(明永)、 張俊(徳欽)、 李偉(徳欽) 


1998年7月28日
牛田ら4人、 李致新ら3人昆明着。遺品確認 (近藤、船原、広瀬、児玉、笹倉、工藤、王、李、) ビデオにて現場確認。打ち合わせ。
明永村と明永氷河(ナイノゴル氷河)3800m付近アイスフォール下の中段
(写真提供 伊藤 宏範)

1998年8月2日
明永(2300m)→氷河末端(2600m)→BC(3350m)。5時間半。

1998年8月3日
BC→氷河取付(3500m)→現場(3700~3800m)。 1時間半。
遺体遺品が広がっている現場は第3キャンプ(5100m)から約4km下流(現場~氷河末端迄は約3km)。

クレバスはそれほど大きく開いていない比較的平坦な場所。 遺体遺品確認し、氷河上の数か所にまとめる作業。3時間。 雨がきつくなりかなり寒い。取り付までの回収を明日とする。 遺体は日方5(児玉、米谷?、近藤?、)、中方(宗?、孫?、)、 不明3,合計10人を確認。 遺品大袋20個回収(宗森遺品確認)。18時半BC帰着。 この日の交信では、明日、村民の協力がBC以上で得られず、 自力で下ろす予定であった。

アイスフォール下の中段 (写真提供 伊藤 宏範)
遺体遺品 の状況(写真提供 伊藤 宏範)
アイスフォール下 の中段での 回収作業(写真提供 伊藤 宏範)

1998年8月6日
遺体遺品を取付まで収容作業。6時間。付近を見渡すも、もう何もない。
明日村民が遺体遺品を取付から明永を越えてメコン川にかかる橋(2000m)まで運んでくれることとなる。17時BC帰着。遺体遺品は、村民により取付から、収容隊はBCから出発。徒歩でメコン川まで。4時間。後はジープで徳欽まで。ときどき梅里頂上が見える。暑い1日。

1998年8月7日
骨灰、遺物交接儀式
(写真提供 伊藤 宏範)
午前、火葬。式の準備。遺品公正証作成。家族団大理着。
午後、式。遺骨、遺品の手渡し。

(AACK NewsLetter No10より引用)

牛田ら、李致新ら、張俊らの梅里雪山遭難隊員遺体・遺品収容隊は、八月六日早朝から、雲南省大理の近くの下関火葬場で遺体、遺品の整理と火葬を行い、骨灰、遺物交接儀式の準備をした。
多くのテレビ陣に包囲され、爆竹が炸裂するなか、全員で黙祷の後、李致新、張俊、岩坪、広瀬隊員父君がそれぞれ挨拶し、中方隊員から日方家族に、日方隊員から中方家族に遺骨と遺品が手渡された。



1998年8月8~10日
午後、大理→昆明。夜、家族団による答礼宴。
家族団ら昆明→上海→日本(関西、成田)。
午前、昆明にて記者会見(岩坪、伊藤出席)。午後、岩坪ら昆明→北京

1998年8月11日
李致新ら遺骨とともに昆明→北京。北京郊外、万仏園に納骨。   
夜、戴文忠国家体育運動委員会人事部長、史占春らと会食。

1998年8月12日
日本国大使館領事部へあいさつ(亀井啓次二等書記官)。                  
岩坪・伊藤、北京→関西。(京都)遺品を宗森父に渡す。

1998年8月13-14日
中国家族団からの預り物を井上夫人、佐々木夫人、清水両親に手渡す(伊藤)。

1998年8月27日
新たに1遺体と遺品発見(24日)の知らせが張俊よりはいる。
牛田、山田に雲南行きを依頼。
9月はじめに出発の予定で準備中。

1998年9月1日
第2次収容隊 派遣
牛田一成、山田 和人 関空発
今回の遺体遺品は前回発見されたもののの一部であることがわかりました。

発見現場から。 梅里雪山頂上 (写真提供 牛田一成)
ライロゴル氷河 (写真提供 牛田一成)

1998年4月24日
慰霊碑の建立と納骨式
第二次梅里雪山峰学術登山隊隊員の慰霊法要を、4月24日比叡山延暦寺阿弥陀堂 にて営み、遺族や会員約70名が悲しみを胸に、故人の冥福を祈りました。 午後は横川の慰霊碑で納骨法要を行いました。

慰霊碑の建立と納骨式
比叡山に慰霊碑が建立され法要が営まれました。

1999年6月
新たに遺体発見
(AACK NewsLetter No13より引用)
五月二五目、雲南省体育運動委員会より「明永氷河で頭部と足の無い遺体及び周辺に遺品等 が発見された。」とFAXが入った。その後、 昆明との連絡の上、京都で打ち合わせ会がもたれ、次の通りの処置が決まった。
一、六月二七日関西空港発で、人見、中川、小林の三名を派遣する。
二、今回発見の遺体の確認および収容作業。
三、小林が残留し、今夏のパトロールを行う。
四、イリジウムを持参し、京都の本部との連絡を行う。
五、本部責任者は岩坪が当たり、京都在住の吹田 、竹田、中山が補助する。


1999年7月1日
収容隊を現地に派遣
午後3時40分、徳欽県に到着。

1999年7月2日
無事明永村に到着。

1999年7月3日
7:00明永村出発→12:00BC到着。氷河の状況が大きく変わっているため午後はルート工作。ルート偵察、確保後、中国側は18:00にBC帰着。ハイガとバコヤシも19:00にBC到着。明日は予定通り現場に行き遺体を収容する予定。

7日頃中甸→大理(火葬)

1999年7月11日
人見氏が梅里雪山の遺体収容から帰国。

梅里雪山峰登山隊捜索報告から抜粋
現地収容隊の人見五郎が無事に帰国し、小林尚礼(現在、現地でパトロールを継続中)と共に明永氷河で収容した遺体のご遺骨と遺品を持ち帰って参りました。当日夜、関係のご家族に京都へご参集いただき、身元の明らかとなったものについてはご家族の元へお返しいたしました。
調査状況について報告申します。

一. 遺体について
全部で四名の隊員の遺骨をそれぞれ分けて持ち帰って参りましたが、それらの一部づつをまとめたものも一組用意し後日、比叡山の鎮嶺碑にお納めする予定です。

ニ. 遺品について
気象に関する記録ノー卜が見つかり、井上治郎隊長の筆跡であることが夫人によって確認され、夫人にお渡ししました。
中国語の教科書はその内容と出版年から佐々木哲男秘書長以外に持ち主が考えられないとの結論にいたり、夫人にお渡ししました。
「Toム」と署名のあるザックが見つかり、その署名は清水久信Dr.のものであることが大井様によって確認されました。
「Funahara」と書かれた青い未使用と思われるスパッツが一対見つかり、船原尚武隊員のご両親にお渡ししました。

三. 収容隊の今後の予定について
小林尚礼が徳欽県に残り定期的に明永氷河をパトロールし、今後の新たな発見に努めます。この作業は融雪の終わる八月末までの予定ですが、終了時期については現地の様子に応じて後日決定の予定です。

1999年8月6日
中国・寓偽華僑陵園で「梅里雪山勇士記念碑」除幕式が執り行われました

AACK NewsLetter No14より

1999年まとめ
1999年の 結果と 今年の見通し
1999年は 会員 小林尚礼(バコヤシ)君の 長期現地滞在と努力により 数多くの結果を得ました。
1998年とほぼ同じ状況で発見されています。

99年11月1日現在 すべての隊員の遺品が確認されています。
2000年にもひき続き発見される可能性があるとの、氷河の専門家による予測がたてられています。
12月11日に関係者への報告会および慰労会が開催されまし た。

2000年
2000年の収容作業について 今年は現地での常駐体制を取らずに、明永村住民の方に定期的な現場パトロールを依頼して発見に努めています。
六月二四日に、明永村村長と小林尚礼氏の二人が 一日かけて明永氷河の捜索を行いました。
AACK NewsLetter No17より
八月末に新たな遺体と遺品を発見、収容することができました。
AACK NewsLetter No19より

2001年
2001年は、小林尚礼氏が写真撮影を兼ねて3月~5月と8月~9月にかけての約4ヶ月間明永村付近に滞在し、5回の遺体捜索と現地関係者との協議をおこないました。
AACK NewsLetter No23より

2002年
昨年までは、遺体および遺品が発見されるのは、標高3600~3700メートル付近の緩傾斜帯でしたが、今年は3400メートルのセラック帯で遺体が発見されました。
AACK NewsLetter No30より

2003年
標高3100メートルの氷河上で地元民が遺品を発見しました。小林尚礼氏が現場に向かい、捜索および遺品の調査をおこないました。
1遺体と250キロ近くの遺品を収容しました。
AACK NewsLetter No30より

2004年
工藤隊員および1遺体と、30キログラムほどの遺品を収容しました。
AACK NewsLetter No32より

2006年10月28日
梅里雪山峰遭難記念碑建立
このほど、日中双方(京都大学学士山岳会と中国登山協会、雲南省並びに明永村)が協力して一九九八年からの捜索活動に携わったことを記念し、遭難した一七人の隊員の霊を弔うために記念碑を建立しました。 一〇月二八日、中国雲南省梅里雪山の麓の明永村で、記念碑建立の除幕式典が行なわれました。これからも、遺体や遺品の捜索は続きますが、記念碑建立により、八年間の捜索活動に一応の区切りを付けることができました。
AACK NewsLetter No41より